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私が推しと出会い、応援しようと決めた時の話。【第二章〜春の帝劇、板の上に観た光〜】



その日は、よく晴れた春風の心地よい日だった。


空は鮮やかに青く広がり、家のバルコニーで育てている植物も、のびのびと日の光を浴びて気持ちが良さそうだった。まさに快晴。完璧なお日柄模様だった。

そんな日は決まって、母はこう言う。

『帝劇(帝国劇場)まで自転車で行こうよ!』

ほら、やはり言った。

私の母は、天気の良い日は必ずこう言うのだ。目的地まで自転車で行こうよ!…と。

だから、私は母のその発言に驚いたりはしなかった。

しかし、私達の自宅から帝劇までの距離はそんなに近いわけではない。片道だけでも15キロ以上の距離がある。しかも、今日行く場所は何度も言うようだが、"帝劇"。格調高く豪華絢爛で美しい劇場だとネット民達からの口コミで知り、どんな服装で行けばいいんだろう!?と静かに震えていたあの帝劇。そんな素晴らしい劇場に自転車で行こう!とワクワクした面持ちで母は言うのだから、私はつい母に『それって本気のやつ…?』とさりげなく聞いてしまったが、そうしたら母は迷うことなく『うん!そうだよ〜!!!』と、"そんなの当たり前じゃん〜"と言いたそうな表情で楽しげに答えたので、その時、私は改めて母のパワフルさとこんなにも深かったのかというほどの自転車愛になんだか面白くなって少し笑ってしまった。

"せっかくだから母の願いを叶えたいし、希望に乗っかってみるかなぁ"

色々と心配なことはあるが、どうしても自転車で帝劇に行きたいという母の願いを叶えるべく、私たちは自転車で自宅から帝劇へと向かうことにした。


何故、私達が帝劇に向かうのか。それは、前(※第一章参照)に話した舞台・千と千尋の神隠しを観劇する日がとうとうやってきたからだ。待ちに待ったこの日。チケットを取った理由はミーハーだったが、私とお母さんはかなりこの舞台を観劇する事を楽しみにしていた。だから、私たちは13時から開演するこの舞台の公演を観る為に、朝から丸の内の街を目指しペダルを漕ぎに漕いだ。"どうして観劇前に私たちはこんなに体力を使っているんだろう?"内心、少しだけそう思ったが、"風を切れて楽しいね〜!!!"と、声に"楽しい"と"幸せ"を含ませながら自転車を走らせている母の後ろ姿を見て、やっぱり自転車で帝劇に向かってよかったなと思った。

映画、千と千尋の神隠しの中盤に出てきた、青空をビュンビュンと追手から逃げるために飛びまわる白竜が如く、私たちも街を走る。あの時の白竜は紙で出来た大量の式神に追われていたが、今の私たちは"時間"という名の式神に追われている。チケットを取った理由はかなりミーハーだけれど、何ヶ月も前から観劇する事を楽しみに待った舞台なのだ。絶対に開演時間には遅刻したくない。あたたかな日差しと春風を浴びながら、素早く移り変わっていく景色を楽しみつつ白竜気分で自転車を走らせた。


その甲斐あってか、私達は開演時間より余裕を持って丸の内の街に到着する事ができた。



ちゃっかり丸の内の街でお洒落なランチを済ませ、浮かれ気分で、いざ、人生初の帝劇に入場する。せめてこれくらいは…と、どうにか素敵だと噂の劇場に自分達が馴染めるよう、少しでもお洒落になろうと春風に吹かれてぐしゃぐしゃになった前髪と洋服を悪足掻きするかのように整えながら入った帝劇は、品に溢れた赤色と黒色に包まれていて、正面入場口から見て左側に輝くカラフルなステンドグラスが美しい劇場だった。

わぁ〜と、思わず小さく声に出しながら初めて見る帝劇の美しさに母と私は感激しつつ、客席へと続く階段を登る。私たちの座席は二階席4列目の若干右寄りな座席。舞台を観ることは好きだが、あまり劇場に足を運ぶことが少なかった為、チケットを発券し自分達の座席がわかった時は"二階席かぁ〜"と正直な所、舞台から遠いなぁと思っていた。だけど、実際に客席に座ってみたら意外とそんなこともなく、わりと見えるじゃ〜ん!と隣に座る母と客席で小さく喜んだ。



改めてしっかりと自分達の座席から舞台の様子を眺めてみる。すると、正面には淡い色彩で表現された夏の青空が広がっていて、穏やかに、そしてゆっくりと白い雲が流れていた。板の上や壁には青々とした苔が生い茂っていて、よく見ると両サイドにはなんだか意味ありげな祠も置かれている。眺めているだけでどこか懐かしく、不思議と胸がきゅっとしめつけられるようなそんな景色。まるで忘れていた昔の思い出を今はまだ思い出せないけれど、なんだか心のどこかでは覚えていて惹きつけられているかのような、そんな魅力を秘めた千と千尋の神隠しらしいあの夏の空気感が私達を待っていた。


開演時間が近づくにつれ、私達の周りにも着席する人達が増え始める。客席は人が増えたからか、さっきよりもザワザワとした物音や話し声で私たちの周りも包まれていた。きっと、私や母と同じようにここにいるお客さん達も今日という日をずっと楽しみに待っていたという人も多いのだろう。私達みたいな誰かのファンではないけどなんだか楽しそうだから舞台を観にきた人、ジブリや演劇を愛している人、役者さんや舞台関係者さんを応援している人、関係者の方々など。きっかけは違えど本当に様々な人達がこの舞台を楽しみに、この"帝劇"という場所に集まっている。この舞台は沢山の人達に注目されているんだなぁ…、そう、しみじみと感じながらあちらこちらから聞こえてくるこの舞台への"楽しみ"という想いを滲ませた声に私達もますます楽しみを膨らませながら、学生時代の修学旅行前などに感じたような胸の高鳴りを感じつつ、ワクワクしながら開演する時を待った。


やがて釜爺のお茶目で陽気なアナウンスが流れ、会場の照明がゆっくり暗くなる。次第にさっきまでザワザワしていた音はおさまり、会場は良い緊張感と静寂に包まれていた。




 今、あの夏が始まる_____________。











 舞台の物語部分が終わった。



 単刀直入に言う。


 とっても良かった。



 物語の始まりに友達から貰ったお別れの花束を手に持ち、しゅんとしながら現れた千尋から、最後、またこの世界で生きていくことのできる喜びを心から噛み締めるかのようにやっと再会できた両親のもとへ力強く走り去っていく千尋のシーンまで、この舞台に出てくる全てのシーンがキラキラと輝いていて、登場人物もなんだかみんな愛おしくてとても胸が熱くなった。綺麗な気持ちで満たされ、まるで目には見えない宝物を貰ったような感覚。この舞台のチケットを取った理由はかなりミーハーだったけれど、この舞台を観られて本当によかったなぁと、過去の自分にグッジョブ!と伝えたいなぁなんて思うほどに自然と涙が溢れだし、この舞台に対する熱くてキラキラとした感動と高揚がこの胸に残っておさまらなかった。








少し間を置き、この舞台らしい盛大かつ華やかな雰囲気のカーテンコールが始まった。カーテンコールとは、舞台の物語が終了後、その物語に登場した役者さんやオーケストラの方々などが再度舞台に登場し、その物語の世界観に合わせながら舞台関係者の皆さんと観客でお互い敬意を込めながら、"ありがとう!!!"や"ブラボ〜!!!"という想いを伝え合える締めの時間のことだ。だから、そんな素敵な機会にぜひ私も参加させていただきたいと、あまりにも感動した私はどうかこの想いが届きますようにと手が赤くなるくらい舞台の方に向かって大きな拍手を送り続けた。自分が観劇した日はコロナが猛威を奮っていた時期だったから声援を送ることはできなかったけど、こんなにも素晴らしい舞台を、そして素敵な気持ちを届けてくれてありがとう!!!と、どうしてもこの舞台を作り上げてくれた皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて。それぞれ晴れ晴れと個性豊かな立ち振る舞いで舞台に登場していく役者さん達の姿を目に焼き付けつつ、私は二階席から精一杯熱くなったこの胸の想いを込めて、拍手を送り続けた。


 しばらくしてこの舞台に出演していた役者さん達もほぼほぼ登場し終わり、ラストはあの人の登場を待つのみとなった。そのあの人とは、この舞台の主演を務めた千尋役の上白石萌音ちゃんのことである。


上白石萌音ちゃんの事は恋つづ(ドラマ)を観ていたから知っていたけれど、この舞台を観てかなりの衝撃を受けた。なんてすごい役者さんなんだ…と。この舞台を観る前は、"なんだか親しみやすいかわいい人"というイメージだけだったのだが、この舞台を観終わってからは、もしかしたらこの人はそれだけではないのかもしれないなと思った。なぜなら、あまりにも上白石萌音ちゃんの演じる千尋が千尋そのものだったから。彼女はとても自然に千尋を生きていた。千尋を生きる姿に違和感がなにひとつ無かったのだ。千尋は10歳の少女で、彼女は大人だというのに。


私は静かに、とんでもなく実力派な役者さんと出会ってしまったかもしれないな…と、心の中でそう思った。




 会場全体が千尋、そしてそんな千尋を演じた上白石萌音ちゃんの登場を今か今かと待ち侘びていた。




 ようやく上白石萌音ちゃんがカーテンコールに元気よく小走りしながら登場する。その瞬間、ドッッッッッと、もう既に熱気に包まれていた会場は更に熱気に包まれ、今までよりも盛大な拍手で会場は溢れかえった。


その反応を受けて、心から嬉しそうにしながらこの光景を目に焼き付けるかのようにゆっくり、そしてじっくりと会場全体を見渡す上白石萌音ちゃん。なんだか私もお母さんも二階席にいるのに萌音ちゃんと目が合いそうな勢いで、"萌音ちゃんはこんなに遠くにいる座席の観客まで気にしてくれるんだ…"と、彼女の溢れんばりの優しさに胸がじんわりあたたかくなった。

主役なのに自分より周りの役者さん達やオーケストラの方々に向かって片膝を床につき、両手をパタパタとさせ、観客に拍手を促す上白石萌音ちゃん。その姿からは周りへの愛と尊敬が溢れ出していた。

ずっと楽しそうに千尋らしく板の上を駆けまわり、たまに青蛙を背中に背負ったりしてお茶目に舞台仲間とはしゃぎつつ舞台袖に何度はけてもいつも何度でも舞台仲間達と板の上に戻ってきてくれる上白石萌音ちゃん。心から、なんてかわいい人なんだろうと思った。


正直、私達が座っていたのは二階席だったからあまり舞台に近かったわけではなく、上白石萌音ちゃんの具体的な表情が見られたわけではないけれど、どの瞬間も上白石萌音ちゃんは遠くから観てもとても輝いていて眩しかった。絶対にありえないのに、現実の人間に加工アプリとかでよく見るキラキラなフィルターがかかっている!と、本気でそう感じるほどに。




"まるで光みたいな人だ。"




私は彼女を見てすぐにそう思った。




千尋を生きている時の彼女も素敵だったけど、それに加えてカーテンコールで魅せてくれた千尋ではなく"上白石萌音"として登場した彼女の姿もまた素敵で、私は衝撃を受けたのだ。まるで雷が落ちるようなそんな衝撃。長い間、何事にも本気になれなかった空っぽの心にいきなり雷鳴と共に何よりも優しくて眩しい一番星が輝いてしまったのだから。人が少し怖いな…と思ってしまう、あまり心を開けない臆病で何重にもロックのかかった頑丈な警戒心も彼女のあたたかい愛を前に一瞬にして解錠されてしまったのだから。

"あ、この人は信じていい人かもしれない。"


そう思えたのだ。


今、私達が観ているこの公演だって別に初日でも千秋楽でもない普通な日の公演だった。なのに、あんなにも嬉しそうに、そして大切そうに客席を見渡してくれていたのだ。今までだって何回も同じ物語を演じているだろうに、その中の1公演だとしても手を抜かず、100%の愛と誠実さで上白石萌音ちゃんは大切に板の上に立ってくれている。


"私、この人のことなら長く応援できるかもしれない…"


なんだか学生時代、とあるアイドルを応援していた時に持っていた熱量と同じ熱量で私は上白石萌音ちゃんの事を応援できそうな気がした。そして、この舞台に立つ上白石萌音ちゃんを観てそう思った自分に驚いた。

呼び醒まされる久しぶりの感情。ずっとずっと、誰かの事をふんわりとしか応援できずにいたのに。



とうの昔に枯れてしまったと思っていた感情を、まさかのこのタイミングで思い出した自分自身に戸惑いが隠せなかった。





しばらくしてカーテンコールも終わり、とうとうこの舞台の幕が閉じた。



心にいつまでも、舞台•千と千尋の神隠しがくれたじんわりとあたたかい余韻と、もうひとつの感情が輝き続ける。


ひとしきり"あのシーン面白かったねぇ"や、"この演出よかったねぇ"など、様々な舞台の感想をお互いに語り合った後、私は座席を立つ前にぽつり、隣で一緒に舞台を観ていた母に言った。



 『私、上白石萌音ちゃんのファンクラブ、もしかしたら入るかもしれない…』


すると母は、私の事をよく知っているからか、何か含みを持った表情で、


『好きになっちゃったの?』

 と優しく笑った。



その母の言葉を受け、自分の中でしばらく考えた。なぜか想定していなかった"好き"という言葉に、脳が混乱し、"好き?好きってナニ?え、好きなのかな…?"と、ちょっと気恥ずかしさも感じつつ、迷いに迷ってその母の言葉への結論が出た。正直に言う。多分、私はもう、上白石萌音ちゃんの事が"好き"なのだろう。さっき観た舞台で上白石萌音ちゃんの演じた千尋の姿に心から感動した。カーテンコールで観た上白石萌音ちゃんの姿があまりにもあたたかくて、愛に溢れていて、板の上に光を見たような気持ちになった。それに何より、頭の中はもう既に彼女の事でいっぱいだ。



、、、でも、こんなに感動しておいてなんなのだが、私という人間は自他共に認める"ミーハー"なのである。



もしかしたら、今この胸を熱くしている"好き"はこの舞台を観た直後特有のとてつもなく強い感動を受けたからなだけであって、少し時間が経ったら徐々に薄れていって自然消滅してしまうのかもしれない。


そんなふわふわとした覚悟の決まっていない状態でファンクラブに入るのは、上白石萌音ちゃん本人にはもちろん、上白石萌音ちゃんのファンの方にもとても失礼なんじゃないかな…?何より私は上白石萌音ちゃんが上白石萌音ちゃんらしく話している所をまだ一度も見たことがない。上白石萌音ちゃんとはどんな人なのか、私はこの舞台のカテコで観た上白石萌音ちゃん以外、全然役としてではなく自分として生きている彼女の姿を知らないのだ。そんな状況で上白石萌音ちゃんを応援する為にファンクラブに入っていいものなのかな…?


思考がぐるぐるめぐった。


だから、私は母にこう言った。


 『ちょっと、多分好きだとは思うけどやっぱりわからないから、次のイベントに参加して、それでもまだ萌音ちゃんのことを素敵だと思ったらファンクラブに入らせていただくわ…!』


すると、それを聞いた母は、"それがいいね"とまた優しく笑った。


ミーハーなのに変に真面目で、自分でもなんなんだと思う。でも、本当に自分自身のことが全く信用できないし、誰かを応援させていただくのなら、心から120%迷いなくその人のことをまっすぐ好きだと思えた状態で応援したいと思っていた。今まで、ありとあらゆる場面で長く気持ちを継続できなかった自戒も込めて。

だから、今はそういうことにした。


 『とりあえず劇場出てさ、お茶でもしようよ』

 『うん、それがいいね。どこがいいかなぁ〜』

 『えっとね、ここの近くに東京會舘ってとこがあって、そこのマロンシャンテリーが美味しいよ。』

 『そうなの?じゃあそれ食べたい!行こう!』


 母のおすすめスイーツを食べる為に帝劇を出る。


 "上白石萌音ちゃん、素敵な人だったな…"


 ぼ〜っと、ずっとその事ばかり考えながら上白石萌音ちゃんのことが気になりつつ、駐輪場に停めたままの自転車はまだそのままにして、日差しの眩しい丸の内の街をマロンシャンテリーめがけて私と母は歩いた。


次回に続く。


当時のチケット。私の宝物です。

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