「あっちゅーまやねん、人生。」を聞いて初投稿するやつ

今更だけど「あっちゅーまやねん、人生。」という曲を聞いた。

どうしよう、ダイレクトに痛いところを突かれてしまった、、
分かりやすく言うと、めっちゃ刺さった。
実はあの天才の音楽を、これって自分のことじゃん、これ自分の曲じゃん!と思って聞いたことはほぼない。でもその方が今はいいと思っていて、逆に自分みたいな人に向けて書いたんだな、と手に取るように分かってしまう歌詞が嫌いだった。
ただ、この曲だけは何かが違った。その何かの理由は、作詞家が人として尊敬して止まない、あの方だからだということに薄々気づいてはいるが…

あっちゅーまやねん、人生。

学生にとって(学生だけじゃないのかもしれないけど)、「将来」の二文字はどうしてもちらついてしまうもの。

でも正直、筆者はずっと将来の夢みたいなものが分からなくて、興味のあることといえばほぼ音楽だけ。にも関わらず自らの手で音楽をするという努力を怠っている私には、アウトプットするものが何もない。つまり、特技とか個性とかそういうものがまるでない。でも何か、何かないとやばい気がする。最近はそういうことでずっと焦っていた。(今も焦ってるけど)

「あっちゅーまやねん、人生」という言葉はそんな自分に現実を容赦なく突きつけてくる。正直この言葉だけだったら聞くに堪えない。でも現実を突きつけたうえで救ってくれるから刺さる。

MVの概要欄で知ったんだが、この曲、新成人に向けて書いた曲らしい。筆者はあと約4か月で20歳。やられた。完全にやられた。これじゃ川谷絵音の思惑通りじゃねぇか。

恥ずかしがらず生きてみて

SNSを見ているとアウトプットする怖さを痛感する。

自分の考えを知られるのはすごく恥ずかしいことだと思う。自分の投稿が一部の人に評価されたとしても、一部の人には稚拙な内容だと判断されるかもしれない。というか、たぶん判断される。

でもいずれかの形でアウトプットしていかなきゃ、誰にも自分を出さないで生きていくことになる。それはそれでいいのかもしれないけど、自分はなんか、それがとても虚しいことのように思えるのです。やっぱり誰かに自分を知ってほしいし、見てほしいし、評価してほしい。だって評価されてる人を見るとものすごく羨ましいから。嫉妬って簡単には消えてくれないよね。

恥ずかしがらず生きてみて

「生きる」の解釈は人それぞれですが、文字という全員フリーのアウトプット媒体を使って、影を縫わずに生きてみるという選択を、問いかける側の自分は選択することにします。これが正しいのかどうかは分からない。明日恥ずかしくなって辞めるかも。だけど何らかの利益があればいいな、という一部の淡い期待を胸にこれからも執筆します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?