地域に守られていたあの頃を思い出す
最近、情報に疲れてしまってインスタX全消し生活5日目に突入。
実際なくて困ることはない。たま〜に呟きたい気持ちがあるが消したことを思い出すとまあいいかとなる。
そんな生活の中をしていたらなんだかドラマを見たくなってきた。
私にとってドラマは余裕のある時でないと見れないもの。
情報の海に流されているとそんな余裕がなくなってしまうのだ。
I LOVE 坂元裕二
私は坂元裕二を愛してやまない。
小さな弱さに寄り添える繊細な言葉が大好きだ。
どうしたらあんな風に人を描けるのだろうと気になっている。
ドラマを通して自分自身を振り返ることもできて、いつも見た後は少し成長したような気がする。
ネトフリにないかな〜とぽちぽち見ていると坂元裕二作品が大量に公開されているではありませんか!
その中でまだ見たことがなかった「woman」を選択した。
が、軽率にみるものではなかった。
毎話泣いている。感情がグシャグシャになって何度も停止。
と同時にあの状況をどう解釈したらいいのかと困惑している。
「woman」についてはまた、別の機会で話したい。
古き良きを思い出す
私がその中で感じたのは懐かしさだ。
時代は2010年代前半の家族を描いている。
日本が混乱していた時期と重なる。
そして、私の幼少期とも重なる。
ドラマ上で描かれていたまちの様子はなんだか懐かしかった。
子供の声がして、それをまちの人が見守る。
お祭りで人とつながる。
小さな時当たり前だった光景が今ではなんだか非日常に感じるのはなぜなのだろう。
あんなに出たかった地元に帰りたくなった。
生まれた地域では、町内会ほどではないが周辺の家族と一緒にずっと遊んでいた。いわゆる幼馴染。
血は繋がっていなくてもお互いに助け合い、地域で見守るその温かさがなんて素晴らしいものだったのだろうと思い出した。
引っ越しをして、町内会に入りそこで出会う人がさらに増えた。
みんなで一緒にお祭りに出たり、川下りをしたり、ボウリング場に行ったり…
また、私の地域では町内会ごとで運動会が年1で行われていたのだが本当に楽しかった。
競技に出る人は当日決められるという今思えばなんて適当な運動会なんだと思ったけどその適当さが良い。
今もまだ行われているのかな……
コミュニティの意義…?
コミュニティの存在は重要だと思っているがなぜ重要か、を客観的に説明できるものを探していた。
でも、そんな明確に論証できるものがなくてもいいのかもしれない。
個々の心にその温かさが残っていて、それを大切だと思う人がコミュニティの維持を続けていくのではないだろうか。
そしてその感情を与えるのは人とのつながり(コミュニティ)なのではないのだろうか。
だからコミュニティが必要だ、と自分が納得できる答えがあればそれでいいと少し思えた。
なんだか今の世の中は冷たい気がする。
合理性やらタイパやら効率やらに限らない、無駄なこと・感情論で語り合えるようなことも求められているんじゃないかな。
人は孤独では生きていけないから。
これから
私が中学生に上がってから自分たちの住んでいた地区の子どもはかなり減った。
町内会の活気もなんだか薄くなったように感じる。
「子供がいないから仕方ない」と思っていたけど、仕方ないで終わらせるのではなくもう一度あの充実感を感じられる空間を再起させることが私たちに求められているような気がする。
地域に守られている安心感を取り戻したい。
「あの頃はよかったな」ではなく、「あの頃も今も楽しい」にしたい。