休日なのに冷たい雨の中 濡れ鼠で力仕事をして滅入っていた後
シャワーで気分を変え 頭も換気をしようとTVのリモコンを操作していたら たまたま イビチャ・オシム監督追悼試合が映った。
試合は2007年頃のオシムジャパン当時のメンバーと当時のJEF Unitedのメンバーが ともにオシム氏指揮のもとに 前後半夫々30分の特別試合を行う建付け。
多くのメンバは引退して久しいようで いい歳相応の恰幅をしている。
両チームともに 隣り合う選手と談笑しながら入場し 年輪を重ねた競技者達の肩の力が抜けた笑顔がとても印象的だった。
自分自身サッカーには全くの門外漢なのだが 門外漢ではあっても
逝去した監督のためにわざわざ当時の関係者が集合し 監督の指導が如何に人々を結びつけていたかを察するに いま ここにとても価値有る瞬間を共有している偶然に気付かされた。
競技者の人生は 分野を問わず 言うまでもなく
一握りの成功者以外 一般の会社勤め人に比べ 幅広いリスクを抱えているものだが
この追悼試合のような機会に預かれるのは 自分のベストを尽くして日々の時間を燃焼させた彼らのみに許される僥倖だと思う。
また 主に日本的な価値観の競技者たちが 東欧出身の監督とサッカーという共通言語を仲立ちに 異なる価値観を理解し 自身の長い人生に確実な影響を及ぼす経験をできたことが とても羨ましくなる。
オシム氏は独特の指導と言葉を使うことで知られているようで
その当時 あるいは監督を辞して以降も話題になったことを記憶している。
解説者の思い出話から 喩え話を多用して効果的に主張を相手に伝えるスタイルだったようだ。急につぶやくそれらを困惑しながら通訳がメモし
後で含意に気付くことも多かったようだ。アフォリズムは中東や東欧でも好まれるのだろう。
選手からすると考えさせられて頭が疲れる指導方針だったようだが
”自分は心理学者のようなものだ”、 ”監督業は小学校の先生に似ている” とオシム氏は語っていたらしい。
走れ、走っても頭は疲れないから考えろ、リスクを取れ、満足するな、知恵と勇気。
聞きかじった言葉だけ切り取ればよくある自己啓発本に並ぶようなものだが
当時指揮下にあった選手からオシム氏が絶大な信頼を愛されていたことを鑑みると
直に薫陶された人にのみ増幅されるなにかがそこにあるのだろうと思う。
「監督のお陰で選手としても人としても成長できました」と 競技者に言わせる濃密な関係がどのように作り上げられてきたのか判らないが
その選手が経験した価値ある時間の記憶から 門外漢にも心地良さが輻射されてくる。
交代で引き揚げた選手と解説者の思い出話を聴いているだけで楽しい時間を過ごせた。
ゴールを決めた選手が 上空の雨雲を指さす。
監督への感謝を表しているのをありふれた演出と見る向きもあるかもしれないが
自分が後にした世界で 自分を知る人達からこのように記憶してもらえる人は とても幸せだろう。
後半になり 勝負はそっちのけでグダグダの展開となり 雨の観客を楽しませようとする選手や ひたすら楽しそうな体のキレの悪い競技者達の笑顔に 何か良いものを共有した人達が多いだろう。
人間の世にはこんなお裾分けに預かることもある。
忘れがちになってしまうけれど。
試合が終わり 追悼セレモニーが始まった。
巻選手の選手代表コメント概要:
「リスクを負って攻めなさい、走りなさいと言われ続けました。
サッカーのみならず 違う分野の皆さんにもお伝えしたいことなんですが
歩みを止めて諦めてしまうのはすごく簡単ですが ただ一歩前に踏み出すことには困難さはあります。
オシム監督の魂 本質は 責任を持ちながらその一歩を踏み出す勇気だと思います。
色々なことが人生で起こるその時に 一歩勇気を持って踏み出す その魂を感じてほしいと思います。」
最後にスクリーンで生前のオシム氏のインタビュー映像が映し出された:
” 過去は起きたことなのでもう仕方ないが
未来のことを考えるときに 過去の失敗を振り返ることは重要。
サッカーのレベルを上げるのにはそれが重要だ。”
昭和の日本人が持っていた 他者への父性を感じた。
成熟した選手達の感慨深い表情をカメラが捉えていた。
余談:
オシム氏の奥様のインタビューの字幕を追っていると ふと耳から理解できる言葉に代わり ドイツ語だと気付いた。
監督は旧ユーゴスラビア出身なのでちょっと意外な気がしたが オーストリア/グラーツでの監督業が10年程に亘り、その後もオーストリアに居住されている。奥様の来歴は未詳だが きっとそういうことだろう。
Wikipediaの記述では オシム氏の母方はミュンヘン出身で 子供時代は自宅でドイツ語を話し、サラエボの名門大学の理数学部に進学し数学や物理学を学んだという。独自の思考はこういう所にも根付いていそう。
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