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時事: イスラエル #2 | 2024年10月のガザ

この扉絵は Guardianの記事によれば 12年前に撮影されたもの。
ガザの海岸でサーフィンをするパレスチナの少年たち。

地中海のひと隅に位置する沿岸は いまも変わらずそこにあります。

批判的・否定的過ぎる投稿や 政治的主義主張の濃い投稿は控えていますが
(=それを始めるときりがないし 誰の参考にもならないでしょう)、
時と場合次第で 今回のような例外があります。

* * * * *

昔 何かで ある市井のアメリカ人のインタビュー記事を読みました。

彼がインターネットを活用する事業を始めたのは 将来自分の子供や孫たちから ”インターネットの黎明期に何をしていたの?” と訊かれたとき、
「横目で見送って 何もしなかったんだ」 と答えたくなかったから、だそうです。

世の中の大転換期の只中で無下にチャンスを逃すのは怠け者だ、末代までの恥だ、 とされそうな米国社会の類型的思考なのかなと思いつつも なるほど そんな視点もあるなぁと 記憶に引っかかるコメントでした。

とはいえ 皆が皆 事業を始めるわけにはいかないでしょうし 敢えて何もしない権利もあります。
ただの金儲けですから ね。

* * * * *

前回のガザの投稿から約一年経過したこの間 BBCニュースの報道を見て感じた印象を列挙します。
殆どの人が同様に感じているでしょうから あれこれ書いても冗長でしょうし 書けば気分が塞ぐので 程々に止めます。
*ガザの子供達に降り掛かった被害については 痛まし過ぎて 敢えて挙げていません。

>>  人間の日常生活とインフラが破壊され
人間が抵抗もできず虐殺されたり不具にされ
医療従事者、慈善団体、メディア、誰彼構わず 紛争当事者以外の善意の人々にすら無分別な悪意が降りかかる。

殺戮する側は「そこに敵が潜んでいたから」と 根拠に乏しい言い訳を繰り返す。市民の生活に潜んでいるとされるゲリラ組織を相手に 武装した敵の特定が困難なのは道理だが 無差別殺戮が唯一の解だと決めてかかっているようにしか見えない。

対峙するレポーターから論理破綻を指摘される政府関係者たち。
夫々のインタビューで ほぼ全員が申し合わせているかのように 激昂した速射砲よろしく 自国の正義をヒステリックにまくし立てる。

控え目にみても イカれている。

殺戮現場の中継映像は 瓦礫の灰色と 市民の嘆きに満ち
戦禍は日々深刻化し 国際法すらお構いなしの暴力が支配する。

虐殺を免れた人々は 自身の肉体を含む物理的な自由度を剥奪され
望みもしない精神的な圧迫と絶望を与えられる。

延々と 武器を置かないままの殺戮者が達成したいことは 何なのか。
ゲリラ組織を壊滅させるためだけに ガザ市民の皆殺しが必要なのか。
他の手段はなぜ選択されないのか。

一年以上も続くとは想像できなかった 悪意の展覧会。
中欧で起きている戦争やアジアの内戦より 更に卑しい ほぼ一方的な殺戮。 
そして あろうことか
いまや前線は他国へと拡大。まるで自国民への目眩ましのように。

悪趣味をとうに超越したこの世の地獄は 遠く離れた場所にもリアルタイムで眼前に現れる。
人類の歴史の 現在のひとコマを目撃しているのは 他ならぬ 我々。<<

* * * * *

もちろん  方便は必要です。
あたかも狂気など存在しないように 刻々と失われていく人命のことを敢えて忘れ 頭を切り替え それぞれの日常を生きるために 楽しむ。
そうでなければ この無慈悲を我々の精神は受け止めきれないでしょう。

反面 のさばり続ける暴力に対し 我々に何ができるのか。

抗議デモの類に参加したところで 一時的に個人のフラストレーションは解消しても 中東の大局に直接の影響はないでしょう。

ですが
こんな歴史的事件を意識の外に押し込め やり過ごし続けるより
この殺戮を日々意識する姿勢を 自分の答えとしています。

インターネットの黎明期とは主題が異なり 同列に比較できませんが
我々の短い人生に交差したこの歴史的瞬間に対し どういう態度を取っていたか 自問自答する時がいつか来るでしょう。
 
夫々で答えが異なるのは当然だとして 私個人は
無力であるが故 見たくない気持ちもある一方 それに耐えて正面から凝視し続けることが 失われた命への供養であり 同じ時代を生きる人間の責務だろうと感じています。

* * * * *

昨日 NHKで こちらの番組を放送していました。
惨殺された何万もの人々のエピソードのひとつです。

非暴力を旨とし人種、宗教、占領側/被占領側を越えた融和に積極的な詩人。
彼に降り掛かった悪意と破壊。

「攻撃されようとも 兵士にペンを投げつけることくらいしか自分には出来ない」 と 一般市民の無力さなど斟酌せず容赦ない攻撃が加えられる可能性を嘆いたアライール氏ですが
その発言が極度に政治的だと解釈されたのか 殺戮側から確定的な除去対象にされてしまったようです。

正気の沙汰ではありません。
殺戮側の大義は ゲリラの殲滅 ではなかったのでしょうか? 

* * * * *

中東情勢の IF について私見を綴ることで自分なりの憂さ晴らしをしたい気持ちはありますが 本件に関しては 専門家や素人がどんな議論や評論のような高次のプロトコルを持ち出そうとも それ以前に
基底に座る人間の生命の受け止め方が狂っているように思えます。

人間をただひたすら殺める蛮行が 即刻 停止されることを祈念します。

ガザの花卉園芸業者
この場所も 塵埃と化したのでしょうか

<蛇足>

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞の授与は喜ばしいことですが
反面 この賞のありかたには疑問を感じます。

危険な状態が続く中東と中欧の戦争への核利用の危険を啓蒙すべく いまここでスポットを当て 国際世論を啓蒙したい意図は見え見えですが
授与は 却って 団体への敬意を軽んじることにならないでしょうか。

70年近く活動している被団協の存在が重要なのは今年だけなのでしょうか?

活動に意義を認めているのなら 常に危険と隣合わせの核兵器なので 毎年連続受賞させればどうなのでしょう。

もし政治的アピールを通じた世論の扇動や 選考委員会自身の権威付けのためのスタンドプレーに興味があるのなら 日本被団協をダシにしなくても 他にやり方があるでしょう。

被爆者の声を伝える忍耐強く地道な活動は極めて切実に受け止めるべきであり 完全な見切り発車だった当時のオバマ大統領氏への平和賞授与と同列にされたくないと感じます。

狙い通りかプロレスなのか 本日 米国大統領が日本被団協に祝意を表し 前提条件なしの核削減を核保有国と協議する用意がある、とリップサービスをしてますが 何を今更 と 穿った見方をしてしまいます。

このように 外交上の暗喩や駆け引きに活用できる小道具が世界に様々用意されているのは好ましいですが 核については先ず米国が率先し 新STARTのような削減プランを再びレールに載せるまで 行動で示して欲しいところです。
現実問題として 有り余る核の維持運用コストは馬鹿にならないでしょう。


<再掲>


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