もむ丸

もんでもまれて最近やっと 少し丸くなれるようになって来たかも… そこそこ歳を重ね 最近自分の発達障害的部分に がっつり向き合うことにした そんなおばちゃんの頭の中のメモ帳です

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もんでもまれて最近やっと 少し丸くなれるようになって来たかも… そこそこ歳を重ね 最近自分の発達障害的部分に がっつり向き合うことにした そんなおばちゃんの頭の中のメモ帳です

最近の記事

自分 と だれか

誰かに付きつけたりしなくたって 足は地面に 体は空気に 触れていて 個 として ここに 存在できている。 何か声が聞こえる? 私の声ではない 誰かの声。 その誰かもまた 個 であり そこに存在している。 私とは違う世界を生きている。 同じ人間 でも 見る世界は違う 不思議。 違う所を "分かり合えない" と 悲しんでばかりいた。 ひとりである事 を "孤独" とばかり思っていた。 違う。 皆 違いは同じ。 評価など 興味ない。 自分の世界を どう味わい 次

    • 会話のむずかしさの根底にあるもの

      私の 父も 母も 主語のない と言うか…んー… 父→脳内ひとり言?の途中から語り出す 母→言-他人軸/動-自分軸 的な矛盾あり といった表現をとるところがあった。 主語がないと文脈で迷走する私にとっては、 両親のこれが何より辛かった。 母は多分 父の癖を把握し 読み取り ある程度を尊重しながら対応していた。 ストレスが発生しているのを 全てかみ殺しながら (ストレートに言わず) 無言でドンバンと圧で表現していた。 父は 周囲の空気の変化を察しつつ "面倒" "

      • 思いやり と 自己犠牲

        過剰なくらいの思いやり? 行動をとる子がいた。 どちらかと言うと " ハッ!! 〇〇しなければ " 的 条件反射で スッと行動した後、 周囲から褒められたり 感謝を告げられる間 終始目が泳ぎ どこか悲しそうで 心と体と頭がバラバラでいるような 様子だった 。 表向きには  正しいとされる行動や 評価の獲得を意識した言動を探し 静かにとるのだけど 誰にも見えない場所で 人知れず 密かないじわる的行為をすることもあった。 反射的に賢く立ち回るため 気付かれることもなかった

        • あの子達のいま

          双子の男の子がいた 2人とも未熟児で生まれ 小柄で とても細かったけど 人一倍わんぱくでいたい感じだった 2人とも 言葉数が少な目で 兄は 要領よく 運動神経が良かった 弟は 繊細で どことなく不器用だった 同じサッカーを好み ボールを蹴る 友達へのパス 力加減 上手くいく兄は 常に 数人で遊ぶ 調節が苦手な弟は なかなか上手くいかず 暴言を吐いては ふてくされ 1人でいるのを よく見かけた お母さんもまた とても 不器用な印象だった 素直な表現が選択肢にないような

          むすめ と わたし 時々じじ

          あらゆる物事が 自分の解釈が 合っているかどうか 多分 人2倍、いや 10倍ほどの勢いで 不安になる私。 ズレていたり 全く違っている事で 叱られ 責められた経験も トラウマの1つなのかもしれない。 不快や 不和を生まない為に 自分にできる工夫として "確認する" これが1番の近道になってくれる。 「ごめんね 確認したいだけなんだ。  私は 分からなくなると 不安で 動けなくなってしまう。  そうor違う が聞けたら  "そっか"と分かり  じゃぁこうしようかな と 次に

          むすめ と わたし 時々じじ

          ずっと拭えない ふわふわと漂う 疑問達

          あの時の判断が 間違っていたのか 正しかったのかどうか  そんなことなど  誰にも分からない もちろん 自分の中でも。 あれからここまで どんな道のりだった? そして いま どんな場所にいる? 分かるのは それだけ 後は この先 どう進んで生きたいか 今 は   あの時では ない 今の私 は   あの時の私 では  ない 常に変化し生きて来て  いま  ここにいる 決めて  進んで  立ち止まり また考え   また決めて   また進んで 確かな手ごたえは  自分の

          ずっと拭えない ふわふわと漂う 疑問達

          変化の足音 受け入れ ゆだね みとめる

          細かな変化には (ある程度は) 柔軟に解釈を加えながら 少々時間を掛けながらでも 対応できるようにはなってきた でも大きな変化には やっぱり めっぽう弱い それが 自分の生活環境の中で起こると…。 数年前に 母を 看取った 私がよく似た父と共に。 今度は父が 闘病に入った。 一番不器用な自分が傍にいる。 2人して変化が苦手な人間 いろんなことにおいて 共有がむずかしい2人 自分の解釈からの反れを認めない父と いろんな解釈があると考えたい私 少しズレると 永

          変化の足音 受け入れ ゆだね みとめる

          ずーっと溶け込んでいたくなる時間

          視覚で入ってくる情報達の中で 群を抜いて心地よく感じるのは 自然によって織りなされる 景色の中の 光や線の 変化 聴覚で入ってくるものの中では 風の音 や鳥のさえずり 水の音 人の声や 機械(人工?)的な音は どこから響く 何の音なのかを 脳が探し続け 頭が忙しくなり 消耗もひどくなるけど 自然の中にいて 目や耳に入ってくるもの達というのは 焦りも発生しない 素直に 純粋に 体に溶け込み 何とも居心地がいい そこに誰かの声が響いた瞬間から 全身がその居心地をまもりに入ろ

          ずーっと溶け込んでいたくなる時間

          槇原敬之『Happy Ending』  ※幼い頃に刺さった心の棘

          槇原敬之氏の描く優しい曲が、昔からずっと大好きだった。 特に「僕が一番欲しかったもの」 https://youtu.be/1eQ1UKChkuU この曲を聴くといつも、大きな共感とともに何故か分からないけれど 泣きたくなる程切なくもなってしまう。いや、涙が出てきてしまう。 もう1つ、 メロディーと歌詞が何となく深く心に刺さってずっと好きだった「Happy Ending」と言う曲がある。 こちらは聴き始めた当初は気付かなかったのだけれど、口ずさんだり歌詞を読み込むうちに、「

          槇原敬之『Happy Ending』  ※幼い頃に刺さった心の棘

          思春期 心の深くにできた傷①

          中3のある朝の登校後 理不尽系の集団無視を初めて経験した私は 状況が理解できず 混乱した頭で早退した 帰宅後 台所奥に座る母を見つけ 説明しなければ 言われる前に  と バクバクと高鳴る心臓を抑えながら パニックの中を1つ1つ 辿りながら 自分なりに慎重に 事情を説明した 丸椅子に腰掛け 回る換気扇の下 タバコを吸っていた母 早朝の新聞配達の疲れも残っていたのだろう 表情を変えずで 煙を吐き出した後で 答えが返って来た ”トラブルは全てまず自分に原因があると思いなさい"

          思春期 心の深くにできた傷①

          自分の中の『家族の風景』の記憶

          笹川美和 『家族の風景』 ※映画「blank13」主題歌 https://youtu.be/sDpT_oALWYE キッチンには ハイライトと ウィスキーグラス どこにでもあるような 家族の風景 7時にはかえっておいでと フライパンマザー どこにでもあるような 家族の風景  友達のようでいて 他人のように遠い 愛しい距離が ここにはいつもあるよ - 何を見つめてきて 何と別れたんだろう 語ることもなく そっと笑うんだよ ※歌詞一部抜粋 学生時代 永積タカシさんの原曲

          自分の中の『家族の風景』の記憶

          周囲でも他の誰かでもない【自分】という感覚を辿りながら生きることの大切さ

          わからない 生き方 息の仕方が わからなくなる 理由? それもわからない 私がこの世に生まれ こうして存在していることは 一体何のためだろう ずっと 中学時代から  そんな考えが ぐるぐるしていた。 周囲の人達 友達 大人達は みんな 他愛もない会話を楽しみ 一喜一憂しては 共に泣きあったり 喜びあったりしている  目に映る世界 耳に入って来る声や音 情報は溢れすぎていて 何より理解が追いつかない 遅れて 遅れて 辿っていっても やっと それに追いついた頃には

          周囲でも他の誰かでもない【自分】という感覚を辿りながら生きることの大切さ

          自分自身に 聴けばいいこと

          生きてきた自分 を 振り返って認め 生きること への 不安や絶望感を受け入れ 生きていく その先に 隠されたたくさんの まだ見ぬ未来が存在することを想像する 自分は ただの1人の人間で 生きているいま 目で見て 耳で聞き 手で触れ 足で移動ができる 何より頭で 自由に考える事ができる 身の回りの 大事だった人達の中に 先に人生を終えた人達がいる その人達の生きた道はどうだったんだろう 身体が無くなってしまったいまは もう会う事も 話す事も できない 聴けるうちに

          自分自身に 聴けばいいこと