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なぜPLAS DAOを始めるのか?わたしがアフリカの子どもたちのために活動する理由

PLAS DAOの立ち上げを始めて、
これまで接点のなかった「初めまして」の方にも
たくさん応援いただけるようになりました。

DAOのメンバーは3000人を超え、
3月13日昼の12時から初めてのトークンセールを開始します。

PLAS DAOはこちらから! →→ https://financie.jp/users/plas

PLAS DAOは
みんなでWeb3、SDGs時代の「寄付×トークン」の可能性を切り拓き、
アフリカの子どもの未来をつくるプロジェクトです!

と、その前に。PLASって何?門田って誰よ?
という方も実は多いのではないかと思っています。

応援しようかどうか、迷っている方もきっといるのかな。
応援しようと思っているけど、もう少しPLASを知りたい方も。

そんな方のために、
私がなぜPLASを18年前に立ち上げて活動をしているのか
今PLASはどんなことをしているのか
PLAS DAOとは何なのかを書きました。

*とても長いので、気になるところだけを
目次から読んでいただいてもいいかと思います。


「わたしが活動する理由」

まずはみなさんに、
どうしてわたしがこの活動をはじめ、つづけてきたのか、
正直な気持ちをお話しさせてください。

中学時代からのずいぶん古い話からになりますが、
わたしのすべてをお話しするつもりで、書いていこうと思っています!

そして、応援したいかどうか、決めていただきたいのです。

長くなってしまい、申し訳ないのですが。。。
是非最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

どうして普通の日本人女性が
アフリカで子どもたちやシングルマザーの支援を始めたのか。

まずはわたしの生い立ちからお話させてください。

13歳のわたし

◆学校に居場所がなかった頃

中学生の頃はいじめられっこでした。
みんながわたしを避けて、誰も話しかけてくれない、
時にはごみを投げつけられることもありました。

部活でランニングをしていると、2階の窓から
食べかけのお菓子やお弁当の残飯がわたしめがけて降ってきました。
クスクスと笑っている同級生。

どこにいても、自分はここにいてはいけないんじゃないか、
そんな気がしていました。

あのころは本当にどこにも居場所がなくて、つらかったです。

そんな時、唯一ホッとできる場所は、家庭でした。
両親にはいじめのことは話せませんでしたが、
家に帰れば居場所がありました。

どうしていじめっこは、いじめるの?
わらにもすがる思いで、心理学の本を読み、
いじめっこを観察するようになりました。

そして分かったのは、
いじめっ子たちは、家庭でたくさんの苦労をしているということでした。

親が喧嘩ばかりで、家にいられない子、
ぐれてしまった兄のようにならないでと、過剰に期待をかけられる子、
両親の仲が悪くて、お母さんが突然いなくなってしまった子。

もう、彼らを恨むのはやめよう。
静かに耐えて、彼らが心穏やかに過ごせることを祈ろう。

そうすると、反応が薄くてつまらなくなったのか、
次第にいじめはなくなりました。

◆わたしを変えた、生徒会立候補

そんないじめられっこのわたしでしたが、
ひょんなことから、生徒会に立候補することになりました。

中学の校則では、髪ゴムは茶色か黒か紺のみ。
靴は白いスニーカー。バックや制服は指定。
わたしにはすべてバカバカしい校則。

おかしいでしょ、こんなの。

失うものはなにもないし、やりたいようにやろう。
先生にだって、別に好かれなくてもいいし。

わたしは、こうした校則の全面廃止を公約に掲げ、
一人っきりで、校則改定運動をはじめました。

まずは校長に交渉しようと、校長室に足を運びました。
校長室の扉を前に、ノックをする手が震えました。

「本当に、ノックして、大丈夫?」

おかしな校則を、おかしいという、それだけじゃないか。
意を決してノックをしました。

それからわたしは、なんども校長室を訪ね、声を届け続けました。

「もっと生徒を信頼して。わたしたちを自由にして。」

生徒会選挙では、全校生徒を集めての演説会がありました。
おかしな校則を変えよう!
これから学校を変えられるのは、わたしたち生徒だ!と、熱弁しました。

生徒たち、先生たちは、わたしの話に共感してくれただろうか、
当選したときに、本当に学校を変えられるだろうか、
不安な気持ちを抱えて、結果発表を待ちました。

結果は、落選。

けれども、クラスメートや先生たちの反応は、意外や意外、
あたたかいものでした。

「これまで校則は当たり前だと思ったけど、
確かになくすべき校則があるって、気づいたよ」
そう声をかけてくれる先生さえ、いました。

これが、わたしが
「勇気を出して、社会を変える一歩を踏み出す」
転機になったのです。

わたしは、このときに、生き方を決めてしまったのです。

◆おかしいと思ったことを、放置しない生き方をしよう

校則は何も変えることができなかった。
でも、先生の意識が変わった。
共感してくれるクラスメートがいた。

おかしいと思ったら、声を上げればいい。
難しいことじゃない。一歩を踏み出せばいいんだ!

こうしてわたしはいじめを克服し、生き方を決め、
大学生の時、国際協力との運命的な出会いを果たします。

エイズ孤児との出会い

◆大学生の時、国際協力との運命的な出会い

高校卒業後、武蔵野大学人間関係学部に入学しました。

ある時、平和学の授業を受けます。
そこで初めて知ったのは、
わたしたちが食べているもの、着ているものの多くは外国から来ていて、
例えば、今朝食べた格安のバナナは、フィリピンで子どもたちが、
学校にも行かずに作っているかもしれないこと。

これまで関係ないと思っていた、
テレビ画面の外国の貧しい子どもたちが、
わたしの生活の犠牲者だったんだ。。。

大きな衝撃を受けました。

それからフィリピン、ケニアなどに子どもたちの支援のために、
ボランティアとして訪れるようになりました。

初めての国際ボランティアはフィリピンの孤児院でした

◆エイズ孤児との出会い

ケニアのある孤児院で、
一つのベッドに並べられた赤ちゃんたちに出会いました。

この子たちは、親がエイズで亡くなってね、ここに連れてこられたんだよ。
エイズ孤児、っていうんだよ。
エイズ孤児を、みんな嫌ってね、引き取る親戚もいないんだよ。
この孤児院に来た子は、ラッキー。
エイズ孤児の9割は、何の支援も受けていないんだよ。

そう説明を受けました。

親がいないだけでも大変なのに、、、
「エイズ孤児」といじめられて、みんなに避けられて。

子どもたちの小さな手を取ると、「守りたい」と素直に思えました

その時思いだしたのは、中学生のわたしでした。

わたしがいじめられたとき、家族が居場所だったけど、
この子たちには、その居場所さえないんだな。

ケニアから日本に戻り、2005年、大学院の1年生の冬、
エイズ孤児支援NGO・PLASを立ち上げました。

人脈も、経験も、お金もない。
あるのは情熱だけ。

「何かしたい」という、情熱だけで走り出した

そして、アフリカのウガンダで待っていたのは、、、
想像を絶する困難の連続でした・・・

わたしは、誰も救うことができない

ただの大学院生だった人間が、 勢いでNGOを設立した。
それには一つの理由がありました。

一緒に立ち上げをした学生の仲間が、
アフリカのウガンダでボランティアをした経験があり、
スラムにあるエイズ孤児の小学校から支援を求められていたのです。

「まずはその小学校を支援しよう!」

2006年。24歳。
大学院を出ただけで、社会人経験0。貯金なし、職なし。

アフリカのスラムの小学校を救うために、
情熱だけをもって、日本を飛び出しました。

当時は、日本で3か月バイトして、その後、2,3か月アフリカに行くということを繰り返していた。

◆ 命の危険と向き合いながら、支援をする

団体を立ち上げ、ウガンダには、
なんとボランティアの仲間が20人!
みんな手弁当で手伝いにやってきてくれました。

門田は真ん中。ボランティアの仲間はほとんどが大学生だった。

あろうことか、そんな中、建設中の小学校を、
突然、取り壊されそうになるという事件がおこりました。

ボロボロの青空教室は、雨が降ったら授業ができない状態でした。

隙間だらけで、床は土の小学校。雨が降れば授業は中止。 それでも子どもたちは生き生きと学んでいました。

この教室を、雨が降っても勉強できて、安全な教室にしたい。
子どもたちに、のびのびと、勉強してほしい。
そんな思いで建設を始めました、

しかし、
「ここに学校はいらない」
「すぐに建設をやめないと、明日、学校を打ちこわしに行く」
と、脅迫を受けてしまったのです。

いつ、だれがスラムの中で自分を狙っているかわからないのです。

建物が壊されるだけでなく、わたしの身の安全も危ないのではないか。。。夜も眠れない日がつづきました。

ともに活動するウガンダ人のボランティアが、
常に一緒に行動して、 守ってくれました。

学校がお休みの夏休み期間に全面改築し、新学期を迎える計画でした。

自分はよいことをしているのに、
どうしてスラムの人はわかってくれないの?

わたしは相手を責めるばかりで、
相手と向き合う強さを持っていませんでした。

自分を正当化してばかりいたのです。

そんなとき、自分のいたらななさから、
大切なものを、さらに失って、どん底に落ちていってしまいます。

けれども、今思えばこの時の経験が、
今のわたしを作ったといっても、過言ではありません。

◆信頼していた仲間が去ってしまった

さらに追い打ちをかける出来事が起こります。

建設の準備を二人三脚で一緒に進めていた日本人スタッフが、
この状況では怖くて活動を続けられない、
日本に帰りたいと言い出したのです。

この状況では、引き留めることはできないと思いました。

そして、スタッフは、本当に日本に戻ってしまったのです。

一緒に子どもたちの学校をつくろうと言ったのに、
どうしてあきらめて帰ってしまうの。。。

悔しさが心いっぱいに、広がりました。

今思えば、こんな状況も、すべては自分で招いていたんだと思います。

いつもスタッフには強がってばかり、
本音で「怖い、助けて」と言う勇気がなかったのです。

脅迫してくるスラムの人を、
「なぜ教育の重要性がわからない」と軽蔑し、
「どうして学校が建つと困るのか?」を聞くことができなかったのです。

スタッフとも、スラムの人たちとも、向き合えずにいました。
弱さを見せると、スタッフが離れていくと思っていました。

スラムの人はどうせ話してもわからないと、
最初から対話をあきらめてしまったのです。

わたしもボランティアのみんなも、近所の夏休み期間中の小学校の一室を借りて生活。 コンクリートに寝袋を敷いていた。

◆大工さんに嫌われて、進まない建設

建設現場でも、事件が起きていました。
現地で雇った大工さんたちが、給与を上げろというのです。
その要求金額は、現地の相場の数倍。法外な金額でした。

ぎりぎりの資金で始めたプロジェクト。
もちろん給与を上げることは、できません。

何人もの大工さんが去っていきました。

新たに雇った大工さんの中には、お酒を飲んで現場に来て、
すぐに解雇せざるをえない人もいました。

時間になってもやってこない大工さんもいました。
必死だったわたしは、大工さんの家に押しかけ、
すぐに現場に来るようにまくしたてたりもしました。

大工さんたちが、なぜ協力してくれないのか、
考える余裕もありませんでした。

「プロとして、なぜちゃんと仕事をしてくれないの?」
大工さんを攻めてばかり。

威圧的な態度をとり、怒鳴り、ため息ばかりついていました。

今思えば、そんな嫌な奴と、
一緒に仕事をしたい人がいるわけがありません。

でも、必死だったわたしは、
そんなことにも気づくことができませんでした。

大工さんの指導の下、ボランティアのみんなも、建設作業を進める。 機材はほとんどなく、すべて手作業。

悪魔の子

◆支援を求めるエイズ孤児の男の子

そんな時、出会ったエイズ孤児の男の子がいました。
靴も履かず、ボロボロにやぶれたTシャツをきた、男の子。

8歳のデリック君という男の子でした。

お父さん、お母さんがエイズで亡くなり、
親戚に引き取られたデリック君は、
学校には行っていませんでした。

最初に会った時、デリックは目を合わせて話すことができなかった。

毎日、掃除や洗濯、家事の手伝いばかり。
家では、「悪魔の子」と言われ、
食事はいつも残り物を一人で食べているというのです。

「学校に行きたい。友達がほしい。」

おどおどした調子でしか話せないデリックが、
精いっぱいの思いを伝えてくれました。

でも、何もできない自分がいました。
何もかもが、うまくいかない。
このままでは、誰の役にも立つことができない。

デリック君は、どうなってしまうの?
学校は、どうなってしまうの?

変化を起こしたければ、自らが変化の源となる

その日の朝も、コンクリートの床にじかに引いた寝袋から、
がさごそと起きだしました。

建設現場へ向かうと、水汲みをする人の姿が。
近所の子どもたちでした。

◆子どもたちが、きっかけをくれた

水道が通っていないスラムでは、
建設用水は近くの池から汲んでこなければなりませんでした。
これが、なかなかの重労働なのです。

近所の小学生くらいの子どもたちが、
学校に通いたい子どもたちが、
バケツを抱えて、貯水タンクに、
次々に水を運んでくれているのです。

けなげな子どもたちの姿に、衝撃を受けました。

まさか子どもたちが手伝いに来るとは。

わたしは、この子どもたちの「学校へ行きたい」という声を、
ちゃんと届けてこれただろうか?

なぜ学校が必要か?そんな、大切な話を、
真摯にスラムの大人たち、大工さんたち、
みんなとしてこれただろうか。。。

そしてわたしは、大工さん、スラムの住人の皆さんと、
丁寧にコミュニケーションをするようになったのです。

たわいもない世間話、家族の話を聞いたり、
わたしがアフリカが大好きだという話をしたり、
そして、子どもたちの学校や教育の話もするようになっていきました。

地域の方に活動を説明し、活動を知っていただくためのイベントを宣伝。

◆スラムの人たちが協力をはじめ、脅迫はやんだ

すると、子どもたちだけでなく、スラムの近所の住人達も、
建設に協力を始めてくれたのです。

水を汲んでくれる人、
建設の道具を貸してくれる人、
差し入れをくれる人、
ボランティアとして、2週間も建設に丸々参加する地元の若者。

建設現場が地元の人でにぎわうようになってからは、
脅迫も自然となくなりました。

力持ちのウガンダ人ボランティアに支えられた。

◆君たちは、このスラムで、一番汚い!

毎日、汗と泥だらけで現場にいるわたしは、
スラムでは、愛情をもって、こういわれるようになりました。

「るい、君たち日本人は、
このスラムで一番汚いかっこをしている!
学校のために、ありがとう!」

この言葉は、今でもわたしの勲章です。

◆給料はいらない、と言った棟梁

そして、あとは、屋根をつけるだけで、
ここからは、プロの手のみでしか作れない、
というところまで、建設を進めることができました。

そんな時、大工の棟梁が、わたしのところへやってきたのです。

「もう、給料はいらないよ。」

あの法外な給料を要求していた棟梁が、なぜ!?

日本からやってきて必死で働く日本人たちを見ていた棟梁は、
ウガンダのために、自分たちこそ働かねばならない、
ボランティアになるというのです。

棟梁は、一人一人の大工さんに問いかけました。

「なぁ、お前もいっしょにやらないか?」

笑顔でうなずく、大工さんたち。
すべての大工さんが、その日からボランティアになったのです。

心から信頼し合えるようになった、大工さんたち。一番右が棟梁。

そして、とうとう学校が完成しました!

◆デリックの初めての笑顔

やっと、やっと学校が立った!

ここに、デリックも通ってほしいと思い、
親戚の方を面会し、話をしました。

そして、デリックはこの学校に通うことができるようになったのです。

初めての教科書。初めてのノート。初めての、勉強。
デリックには、笑顔が戻っていました。

先生も熱心にでリック君を教えてくれた。 copyright Miho Aikawa

「僕、パイロットになりたい!」

未来を考えることさえできなかった少年が、
大きな夢を持つことができるようになったのです。

◆大人の変化が、子どもを変える

わたしは、自分の価値観をウガンダで押しつけ、
独りよがりに、人のせいにばかりしていました。

少し勇気を出して、相手の声に耳を傾けるように変化したら、
ウガンダの人たちと信頼が生まれ、
活動に協力してくれるようになりました。

そして、笑顔のなかったデリックくんが、
笑顔を取り戻すことができたのです。

この経験から、子どもたちのためには、
大人が変化しなければならないと、痛感させられました。

そして、そのためには、まず自分が、一歩を踏み出すこと。
そこからしか、変わりません。

わたしが踏み出した、小さな一歩は、
スラムの人を変え、大工さんを変え、
デリックを笑顔にしたのです。

◆10年後のデリック

この経験から、わたしたちは、
「地域の人の声を大切にし、ともに活動すること」
「地域が自立して活動してけるようにすること」
「地域の人が、子どもたちに寄り添うこと」
これらを大切に胸に置き、18年間、活動をつづけてきました。

わたしの小さな一歩は、実は、さらに大きな変化につながっていたのです。

デリック君を支援してから、ちょうど10年たったある日、
デリック君からメッセージが届きました。

「PLASのみなさん こんにちは。
僕のことを大きな愛情で助けてくれてありがとう。
皆さんのおかげで、たくさんの夢がかない、いま幸せに暮らしています。
これからもずっとみなさんは僕の大切なともだちです。」

デリックの妻と、赤ちゃんの、3人の家族写真と、
デリックの働く姿の写真が添えられていました。

ああ、わたしたちは、力になることができたんだ。
幸せに、暮らしているんだ。

そう、
一歩を踏み出すことで、だれかを救うことができる。
必要なのは、その一歩だ。

これが私が活動を始めた理由と、
最初の一歩を踏み出した物語です。

いまのPLAS

アフリカの子どもたちのために踏み出した一歩は、
多くの方の応援や支援を受けて、
気づいたら18年の歩みとなっています。

次に、現在のPLASは何をしているの?
ということをお話しさせてください。

PLASは「取り残された子どもたちが前向きに生きられる社会を目指す」
ことをビジョンに、アフリカのウガンダとケニアで活動しています。

支援のなかなか届かないラストワンマイルの子どもたちに、
単に「〇〇をあげる」支援ではなく、
現地と共に「つくる支援」を大切にし、
現地の人たちが立ち上げて運営するNGOや地域団体、現地行政、
村の村長らと協働し、活動をしています。

例えばいまはこんな活動をしています。

◆貧困家庭の子どもたちが小学校を卒業し進学できるようにするための活動
・家庭が貧しさから経済的に自立していけるように
農業や養鶏などのスモールビジネス開業と伴走支援
・キャリアカウンセリングを保護者と子どもそれぞれに提供

◆10代の望まない妊娠を防ぐ活動
・性教育等の研修を10代に提供
・性教育などの研修を受けた中高生が地域で
「ピアエデュケーター」となって同世代を啓発する活動の支援
・地域の中高等学校で「ピアエデュケーター」とともに性教育を実施

わたしたちの活動はたくさんの寄付者のみなさんに支えられ、
これまで3万人以上のアフリカの人たちに支援を届けてきました。

また、各方面でもこれまでの活動を評価いただき、
第2回SDGsジャパンスカラシップ岩佐賞 平和・人権の部(2023年)
第6回エクセレントNPO大賞課題解決力賞(2019年)
第二回ジャパンSDGsアワード SDGs推進副本部長(外務大臣)賞(2018年)
等にて表彰いただきました。

信頼される団体を目指し、設立以来毎年、
ホームページにて活動報告と共に財務報告も公開しています。

活動を詳細に説明すると膨大な量になってしまうので、PLASのホームページにてぜひご確認ください!
詳細はこちら>> https://www.plas-aids.org/activity

トークン発行の背景

そして、DAOをつくる、という本題にようやく入ります。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとう!!

PLASがDAOを通して実現したいこと

PLASがDAOを通して具体的に実現することは、3つ。
・「寄付×トークン」による資金調達の道を切り拓く社会実験
・DAOへの寄付でみんなが参加できるアフリカの子ども支援
・PLASを日本を代表する国際NGOへ

「寄付×トークン」の可能性を切り拓く

日本の個人寄付市場は1兆2000億円。
「思ったより大きい!」と驚いた方もいるのではないでしょうか?
NPOへの寄付やふるさと納税の寄付など、
少しずつ寄付は身近な存在となってきました。

寄付がNPOの活動を広げてくれる一方、
NPOの資金調達の選択肢は限られています。

例えば、スタートアップのように株式で大きな資金調達!
ということはNPOにはできないのです。

でも
NPOがトークン発行という形で寄付を集められたらどうでしょう?

これまで寄付に流れてこなかった資金がNPOに流れ、
社会課題の解決が加速するはず!と私たちは考えました。

当初の寄付額よりもトークンの価値が上がったり、
ホールドしておくことで暗号資産のFNCTが獲得できる
「寄付 to earn」も生まれる可能性があります。

わたしたちは「寄付×トークン」で
アフリカの子どもたちの社会課題に取り組むだけじゃなく、
新しい社会変革を起こしたいのです!

「寄付×トークン」の先行事例をつくることで、
多くのNPOが後に続いてくれることを願っています。

わたしたちの経験やナレッジを
様々な社会課題に取り組むNPOにシェアしていきます。

日本の子どもの貧困や環境問題、災害緊急支援、国際協力など
あらゆる社会課題解決が「寄付×トークン」で加速する
新しい社会改革の波をみんなでつくっていきましょう!

世界をもっと好きになるコミュニティへ

次に、PLAS DAOがどんなコミュニティを目指すかをお話しします。

わたしたちは人間が善い面を持っていると信じています。

人間の善に光を当てて、信じる。
そこから社会変革は始まります。

そうやって人を信じることで、
自分のことも好きになれるし、
世界をもっと好きになれる。

PLAS DAOはそういう場にしたいです。
そういう気持ちの人と、一緒に進みたいです。

ニュースを見れば心が痛くてやるせない気持ちになる日も多いし、
不条理な世の中を悲観したくなることもあります。

でも、
その現状を変えたいと心から願い、小さな行動を積み重ねたい。

世界はよくなると、信じられますか?
行動することができますか?
あなた自身は善であり続けられますか?

そんな問いに「Yes」と答えたいと願う人に、
PLAS DAOに集ってほしい。

もちろん、100%「Yes」と言い切る必要は全くありません。
「そういう自分でありたい」と願い、小さな行動から始めるのです。

このDAOにいれば、
同じ思いで自分の人生に向き合っている人がいて、
世界をよくしていけるんだと信じる勇気をもらえる。

そういう場所にしましょう!

寄付の使い道

初期サポーターで集まった資金は
ケニア、ウガンダで子どもたちを支援するための活動に活用します。

現在いくつか現地の新プロジェクトが動いています。
メンバーの興味関心を見ながら、
最も必要性があり、メンバーの納得する支援事業のために資金を使います。

トークン発行の目的

PLASを設立して18年。名前を頂戴している範囲だと、
これまで2000人ほどの方が寄付を通じて活動を支えてくださいました。

支援をしてくださったみなさんに隔週で現地報告をメール配信したり、
毎月イベントを開催したりと、コミュニケーションをとってきました。

支援者のみなさんは活動を進める仲間である、
との思いでやってきましたが、
どうしてもPLASから支援者のみなさんへ、と
一方通行のコミュニケーションになりがち。

支援者同士のつながりは温かく素晴らしいものの、
特定のイベントでしかつくることができないという課題がありました。

また、「PLASの活動がちょっと気になるな」という方々へ
リーチすることが難しいことも課題でした。

そこで、トークン発行です!

トークン発行をすることで、
「支援者」のみなさんは「ステークホルダー」となり、
PLASが成長しアフリカで支援のインパクトを出し、
トークン価値が上がることで、
一緒に幾重にも喜びを共有することができる
仲間になるのではないかと思っています。

また、FiNANCiEのコミュニティ機能を使って
現地からの報告をリアルタイムに届け、
メンバーで感想や思いを共有することで、
今までにない手触り感のある支援体験を実現したいです。

それだけでなく、トークンギフトを使って、
メンバー間の新しいコミュニケーションのあり方をつくることが
できる可能性もあります。

「寄付×トークン」の試みは始まったばかり。
どんなことが起きるのか、みんなで体験していきましょう!

コミュニティ運営について

トークンホルダーのユーティリティ

PLAS DAOのトークンホルダーには
下記のようなユーティリティを用意します。
・トークンホルダー限定チャンネルの参加
・トークンホルダー限定の投票企画への参加

ユーティリティはトークンホルダーのみなさんと
対話しながら調整したり、広げたりしていく予定です。
トークンホルダー限定のNFT配布などが案にあがっています!

多くのトークンホルダーのみなさんを仲間に迎え、
新しい寄付×トークンコミュニティの形をつくっていきます。

また、「寄付×トークン」の可能性に関心のある
非営利セクターの方に向けた講演や情報発信を行います。

トークンコミュニティの成長と感謝の循環

PLAS DAOは資金調達したら終わりではなく、
トークン価値を上げることを目指します。

まず、第一にPLASトークンは売らずに持ち続けてもらいたい
と言うのがわたしたちの願いです。

みんなで価値を上げて育てていきたいので、
長期目線でプロジェクトを応援してほしいです。

「これは寄付だから、その証としてずっと持ち続ける」
そう思ってもらえたら嬉しいです。

ただ、1つだけ例外があります。
大切にしているトークンをそっと手放してほしいときがあるのです。

それはDAOのメンバーに感謝や思いを伝えるとき。

トークンセール前ですが、
キャンペーンで1~数トークンを手にしたメンバーたちがいます。

彼らはPLASトークンを他のメンバーへ、
感謝の証として、
素敵だなと思った気持ちの表明として、
トークンを持ってほしいあの人へのプレゼントとして、
贈り合っているのです。

「トークンを贈ることで温かい気持ちになった」
「もらうことだけじゃなくて、人にあげることが嬉しいと知った」
これはトークンを介した感謝の循環を経験したメンバーたちの声です。

「寄付×トークン」の取組みは、
支援先へ寄付を届けることにとどまりません。

メンバーの私たち自身が想いをトークンに乗せて贈り合い、
誰かに与えることで自分を好きになり、
世界をもっと好きになる、
この循環をつくっていきます。

DAOの今後について

PLAS DAOの価値の源泉は
「寄付×トークン」の社会実験のプロセスであり、
アフリカの現場の活動のインパクト、
それによってPLASが社会で広く認められていくことです。

初期トークン販売の資金はアフリカの子ども達のために使いますが、
DAOとして一番みなさんが関心を寄せてくれるのは、
まずは「寄付×トークン」の社会実験だろうと思います。

「寄付×トークン」の社会実験は
イノベーター層しかいない今だからこそ、すごく価値が高いです。

今はまだ、非営利セクターでは関心を集めていませんが、
カネとヒトのあるところには必ず事業が集まるので、
どの時点かは分かりませんが、そのうち「寄付×トークン」は広がるはず。

ある程度広がった時点で社会実験は完了するかもしれないし、
少なくとも「もう実験はそこまで必要ない」となり、
DAOの目的の一つは役目を終えるのではないかと思います。

「寄付×トークン」にレイトマジョリティのオーナーが
入り出したくらいの段階で、
PLAS DAOの価値の源泉は「アフリカの現場の活動でのインパクト」に
大きく軸を動かすことになるんじゃないかと考えています。

アフリカでの活動によるインパクトの創出は、
もちろんPLASが18年ずっとやってきたこと。

この段階でPLASがしっかりと組織として拡大し、
組織強化できていることがすごく大切になりそうだなと思っています。

こうした軸の変化に組織の揺れ動きはつきもの。
だからこそ、しっかりとした基盤が必要なのです。

それは何年後なのかわかりませんが、その段階では
PLAS DAOのメンバーで主体的にプロジェクトを動かす人がいたり、
DAOのコアになる部分とPLASの既存の組織構造がうまく融合していく道を
見つけられるのがいいんじゃないかと今は思っています。

例えばDAOのメンバーからPLASに就職する人がいてもいいし、
PLASの事業の一部をDAOのメンバーがフリーランス的にやっているとか、
DAOの代表メンバーがアフリカの現場に視察に来て
他のメンバーに活動報告する、
なんて言う未来もありえるかもしれない。

そうした新しい「寄付×トークン」やアフリカの現地での支援活動、
DAOの活動を通して、PLASを日本を代表する国際NGOへ、
みんなで押し上げていきたいです!

支援コースについて

初回のトークンセールは3月13日昼の12時から!
目標額は200万円です!

たくさんの方にコミュニティに参加していただくことで、
支援の輪を広げていきたいので、
500ポイントのコースのみとし、1人1口限定とさせていただきます。

4000名のみなさんと一緒にDAOを立ち上げることを目標にしています!

期間は48時間限定!

この48時間内に最大4000人、
1口500円(500トークン)の支援
が集まることを目標としています。

期間:2024年3月13日(水)12:00~3月15日(金)12:00
1口:500円。500トークンを付与します。
目標人数:4000人
目標額:200万円(4000人×500円)

最後に、
あなたの一歩を、ここで一緒に踏み出しませんか?
ぜひ、気軽な気持ちで、DAOの仲間に入ってください!

PLAS DAOはこちらから


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もんだるいこ(門田瑠衣子)
サポートの代わりにPLASのサポーターになっていただけると嬉しいなぁ! https://www.plas-aids.org/support/monthlysupporter