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大根のせん切り

大根には糖質、脂質、タンパク質を分解する酵素が含まれている。だから大量に生の大根をせん切りにすれば指先が荒れる。
つい2日前まで指先が荒れすぎてスマホの指紋認証はおろか入力にも支障をきたし、iPadをタッチペンで操作しながらカバーについてたキーボードで文字を入力していた。今年の目標は手を洗ったら必ずハンドクリームを塗るにしてもいいなと思う程度には手が荒れていた。保湿大事。これは大学1年生の時の話だ。今でも大根を見れば何を思いながらせん切りにしていたのか思い出せるほど強烈なできごとだ。

大学に入学して2週目の調理実習で実技試験の内容が発表された。

直径5センチ、高さ5センチの大根(皮剥き済み)を縦に半分にしたものを3ミリ角のせん切りにする
制限時間は3分以内
試験は6回目の授業中に行う

その日の実習は発表以降は練習時間となったが、最初の3ミリ幅にスライスする所で切り始めと切り終わりのの幅が違う、そもそも3ミリに目測でスライスできない等課題しかなかった。一通り切ったあと、先生が1本1本せん切りになった大根の長さと幅をノギスで測る。少しでも言われた通りに出来ていなければ「なにこれゴミじゃないの」と言われた。文字にするとキツく感じられるが先生も私たち学生も互いにあくまで例えだと理解の上で会話が成立している。

家に帰ってからすぐ練習した。まず家の冷蔵庫にあった大根まるまる1本。しかしせん切りにする前の試験に使うように高さ5センチに切りそろえ、でこぼこにならないようにツルンと皮を剥くのに苦戦した。
練習用に大根を整えた後はキッチンタイマーのカウントアップ機能で時間を測りながら切った。切ったあとはものさしで怪しそうなものを1本1本測り、基準と合ってないものの本数と時間をメモしながら練習した。裏紙にボールペンでは手が濡れていて読めなくなったり書けなくなったりしたので途中からホワイトボードに書いた。

毎回次はこうやってみようと考えながら切っているのになかなか上達しない。上と下で切ったあとの幅が違う。頭で思っていることを実際に表現出来ない。できない自分が悔しい、苦しい。早く合格してしまいたい。料理してて玉ねぎを切ってる時以外で初めて泣いた。

家にあった大根を全て使ってしまい、母に頼んで買ってきてもらった大根で練習していると「さすがにこのペースで切られると、消費できない訳では無いがお金がかさむので実家からもらってこないか」と提案された。実家では祖母が趣味で様々な野菜を腐ってしまう前に食べ切れるか怪しいほど作っている。早速祖母にお願いして週末に20本もらいに行った。

この実技試験は合格するまで何回も行われる。過去には30回やっても合格できず、先生に仕方なく許してもらった先輩がいるという噂もあった。何が原因かわからなくて苦しみ、分かっても思ったように手を動かして表現出来ないことに苦しむなんてまっぴらゴメンだった。徐々にできなくて悔しいことに泣かなくなった。泣いてる暇あったら原因を考えて練習する時間を確保したい。試験の期日は何もしなくても迫ってくる。ひたすら切って測って記録取って、気づきをメモした。

大根を貰いに行ってからはずっと大根のせん切りだった。味噌汁は大根のせん切り、サラダも大根のせん切り、小腹がすいたら大根のせん切り。大学で友だちとご飯を食べようとしたらその子はご飯の代わりにタッパーにギッチリ大根のせん切りを詰めてきていた。マヨネーズはあとがけで。そうでもしないと消費できないしご飯炊かなくて済むから良かったらしい。実は父と弟に朝のご飯を食べ切られた時は私も同じことをしてたしそれでも大根のせん切りが残ってたからとても気持ちがわかった。それでもさっさとこの地獄から這い上がりたくて大根をせん切りにするのを止めることだけはしなかった。

4回目の調理実習のあたりから洗い物の時間になると班のみんながよそよそしくなった。今までは次の講義に響くので協力して洗い物をしてたのに誰も進んでやりたがらない。みんな大根の酵素で手が荒れていた。あとから大根の酵素の話が講義で出た時「そら荒れるわな、あはははは」って思った。みんな練習している。私だけじゃないんだと安心すると同時にみんなに取り残されるのは恥ずかしい。まして確実に誰よりも沢山練習できている自分が不合格は悔しすぎる。あの時は大根のせん切りを中心に世界が回っていた。

安定して時間内に決められた通りに切れるようになって臨んだ実技試験は緊張で何本も基準に合わない千切りが出た。先生が検品して回るあいだに先生の目を盗んでみんなで基準に合わない千切りを隠した。合格したいしか考えられなかった。実家の協力が得られず、ろくに練習できなかったとすでに泣いている子もいた。

結局合格したのは50人中3人だけだった。寮に入ってて練習の機会があまり無かったであろう子たちだった。私はその中に入ってない。
その子と同じ班や友だちグループの子たちはみんな凄いねー!えー、どうやって練習してたのー?と言っているがどこか自然じゃなかった。羨ましさがどこかあった。私の班は全員不合格だったのでお通夜状態だった。大抵の班はそんな感じだったと思う。

そのあとの講義の内容やどうやって帰ったのかは覚えてない。気付いたらバスに乗っていて、また気づいた時には家だった。夕飯の時間になって席につくと大根のの味噌汁に大根サラダが出ていた。食べはじまってしばらくして「そういえば試験どうだったの」と聞かれた言葉だけ耳に入ってきた。なんて答えようか考えているうちに涙が出てきた。不合格だったと答えるまでしばらく大泣きした。まだ残っていた大根のせん切りを見たのが引き金になったんだと思う。あれだけ練習したのが無駄になってしまった。これだけ辛い思いをしたのに1回で受かることが出来なかった。ほかの料理にできただろう大根を無駄にした、みんなに大根のせん切り生活を強いた。ちゃんと1回のチャンスで表現出来なかった自分が憎い。

夕飯で大泣きした後2回目で合格するまでの1週間また大根のせん切り生活だった。夢の中でもせん切りをしてた。合格したあと二度と大根のせん切りなんて見るもんかと思った。帰って夕飯には大根のせん切りが出ていた。一時期嫌いな食べ物で大根のせん切りと言う程度にはトラウマだった。

あれから何年もたって、実習先で500人分の玉ねぎのみじん切りを手切りでやらされても泣かない程度には強くなった。本当に泣かなかった。多分それは施設の換気システムがよかったからだと思うけど、ちゃんと精神的に強くなったと思う。それでも大根のせん切りをする時は学部1年生の時の、実技試験までの1ヶ月のことがどうしても思い出される。

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