ピアノを聴く
先日、子が習っていたピアノの発表会がありました。ピアノを習っていたことのある僕たち夫婦からしたら、発表会は一年のまとめのような存在。まぁ、毎年あるものだし、練習の成果を発表する場でもあるから・・というふうに考えていました。
とはいえ、子は、その発表会をもってピアノをやめることにしていました。数年前に、半年ほど通ってやめたのですが、それから復活して、およそ1年間、ようやく両手で弾けるようになってきたという段階。
僕としては、とても残念な気持ちです。続けて欲しいと思っていました。しかし、今の小学生は僕が思っている以上に忙しく、学童などに通っていると家で練習する時間も減ってしまい、毎日10分も弾いていなかったのではないかと思います。
発表会は、リハーサルも含めて丸一日の長丁場。僕は、参加者の親、という役割で会場に向かったのですが、よく考えてみたら会場の設営や椅子のセッティングなどは、同じように参加者の親御さんが準備してくださったものでした。
発表会では、自分の子だけでなく、同じ保育園だった子、その兄弟など、知っている子どもたちも出演していました。
我が子と同じように、成長して大きくなっている姿があり、月日の流れを感じるのでした。
発表会は、年齢の若い人から順番に弾いていくので、どんどん難易度の高い曲になっていくような印象でした。
練習の量や、普段の暮らしを知らないで聞いていても、時々何かを感じたり、もしかしたらこんな性格なのかも、と思ってしまうことに驚きました。
違いそのものはうまく表現できませんが、同じピアノを弾いているのに、なんとなく違って聞こえてくるのです。曲によっても変わるのでしょうけれど、音の届き方が違うというか。
ピアノを題材にしている小説などを読んでいると、聞こえてきた音を言葉にして表現しているのですが、それと同じような感覚になることに驚きました。
普段から聞いていないからこそ、何か感覚的に鋭くなっていたのでしょうか。きっと弾いている本人だって思ってもいないような言葉になっているかも知れませんが、感激してしまう演奏もいくつかありました。
子の演奏は、練習の通りに弾くことができていました。途中で間違えてしまうのも練習通り、弾き直す場所も練習通り。本来なら、そこを直すのが練習なのですが、励ますことができなかったなと、少し残念な気持ちになりました。
下の子はピアノは習っていないのですが、少しだけ出演させてもらいました。歌って踊るという内容でしたが、みんなと一緒に舞台に立って、なんとなく動くだけでしたが本人は楽しそうでした。
僕が子どもだった時に出た発表会は、リハーサルもなく、本番のみで、演奏前はかなり緊張していたことを思い出します。ここまで書いてきましたが、当時の自分だって練習が不足していて、途中で何度も止まっていました。
あの頃の演奏を聴きたいと、ふと思ってしまいました。