あの日、僕らは
縁起よく秋晴れ、とはいかず、しとしとと雨が降る朝だった。
本来なら1年かけて準備するところ、およそ5か月で招待状作成と送付、何度かあった打ち合わせをこなし、ついに迎えた結婚式と披露宴の日。
その年の春、まさか自分が結婚するなんて思ってもいないもんだから、仕事の一環として研究会的なものに参加していた。それは、1年かけて最近の政策を研究するもので、そのテーマで先進している他都市や外国に視察に行って、論文を執筆しなければならなかった。
研究会の国内視察を終えた2日後に結婚式を行い、式の3日後には視察のためオランダに飛ぶ予定だった。旅好きな僕としてはとても楽しかったが、公私共に忙しかった。研究会のメンバーの誰にも、僕が結婚することは告げていなかった。
その日、実際の式が夕方からだったため、慌てずにいられた。午前中は普段通りの日曜日を過ごした。妻が僕よりも2時間ほど早く会場に向かい、僕は少し後で会場入りした。それでも時間があったので、会場内のカフェで美味しそうなパスタをがっつり食べてしまった。
着替えやメイクをして(新郎も顔に何か塗った)、結婚式、披露宴と粛々とすすむ。打ち合わせの時に、あれこれと決めたことが次々に現れては溶けていくような印象。年齢的にも性格的にも、余興やちょっとハメを外すような展開などは排し、真面目で穏やかな披露宴だった。
新郎新婦は胸がいっぱいになって料理が食べられない、とはよく聞く披露宴あるあるだ。僕の場合、胸がいっぱいで食べられないのではなく、事前に食べてしまったパスタでお腹いっぱいになっていたので、食べられなかった。
目の前に集まってくれたゲストたちは、家族、友人、仕事、趣味などさまざまな接点でつながる人たちで、そういう人たちが集まることはないので、あの披露宴は何度でも開きたくなる奇跡の人選でもあった。
職場の人と楽しそうに話す友人たちの様子や、涙ぐむ家族、仕事の合間で遠くから来てくれた従兄弟など、色々な人が周りにいてくれたことを思い出す。ありがたいなぁ、当時も今も思う。結婚式に人を呼ぶなんて、お祝いして欲しい承認欲求の塊では?などと斜に構えていた結婚前の僕が恥ずかしくなった。
いくつも思い出はあるけれど、印象的だったのは、カメラマンの方が式の後半で、泣いておられたことだ。僕は涙もろいので、自分の結婚式では泣いてはいけないと、心を鬼にして(しなくてもよかった)涙を堪えていたが、カメラマンさんは写真を撮りながら涙を拭っていた。
その日に会った方で、事前の打ち合わせもしていないのに、何を感じ取ってくれたのだろうか、感受性の豊かな方なんだな、と思っていたけれど、今ならわかる気がする。
式の前に会場で親族顔合わせがあり、式のリハーサルがあり、ゲスト迎え入れがあり、披露宴が始まり、お色直しの時の新郎新婦不在の時があり、僕たちや僕たちの家族を見ていたのがカメラマンさんだった。
かなりたくさんの写真を撮っていただいたはずだけれど、料金プランとしてはアルバム一冊と、写真データ25枚だった。今となっては、少なすぎたかもしれないとちょっと後悔している。
毎年、この日になると、こうして思い出せること、書き残せることができて嬉しい。結婚記念日が入籍の日なら8月だけれど、結婚式の日なら11月1日である。