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素直な心
ピアノのレッスンをオンラインで行っていた記事を書いたのは、1ヶ月ほど前のことでした。
このたび、ピアノのレッスンに通わせるのをやめました。
もちろん、オンラインで継続するというものでもありません。習い事の意味というか意義というか、様々に考える機会があったこともあり、子の意見を聴いて、夫婦で考えて、ひとつの決定に至りました。
ピアノを教えていただいた先生はとても素晴らしくて、子に理解も深く、この先生しか教わる方はいないと思っています。
この記事を読んでいただいている方は、きっと「継続は力なり」という諺を思い浮かべたのではないでしょうか。
僕たち夫婦も同じことを考えていました。僕も妻も、ピアノを習っていたことがあり、その時の経験は多くの生徒と同じように、毎日の練習が楽しいわけではないし、むしろ苦しいとか怖いとかで練習を続けていた記憶がありました。いつの間にか、子にも同じような経験を押し付けていたのではないか、という気付きとともに、ピアノを弾きたいのは親たちであって、子はピアノを弾きたいわけではなかった・・ということに気がついたのです。
毎日のように、「ピアノ弾こうか?」「ピアノ聴きたいなぁ」と言ってみても練習することもなく、レッスンは毎回のように復習的になり、親としては何かヤキモキすることが多かったのですが、きちんと子と話してみて、気がつき、決めることにしたのです。
子は、レッスンに行っていた時間帯に絵を描いたり、歌ったり、踊ったり、遊びを中断されずに過ごしています。親としては、楽しく楽器が弾けるようになってほしい、という思いから、お金がかかる習い事だから続けてほしい、という手段と目的が入れ替わってしまったような時間を手放し、家族で新しいことが出来るかも知れません。
少し前の僕の誕生日、妻が一冊の楽譜を買って来てくれました。
「こどものためのブルクミュラー」、僕もかつて弾いたことのあるブルクミュラー(僕は、ずっとブル「グ」ミュラーだと思っていました)に挿絵がついて、可愛い楽譜になっていました。僕は、ブルクミュラーを最後まで弾くことはできず、前半の数曲を練習していたところで、ピアノをやめています。いつか子が弾いてくれたら、という思いとは別に、僕が弾きたい、そんな楽譜です。
その冒頭の曲は、「素直な心」。素直になる、素直を受け入れるって、本当に難しいけれど、素直になることは楽しさや幸せに直結しているのではないか、とも思います。
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