きっとそうかも
ある一定の範囲の人たちに、大きく広がった波紋があります。
それは、Eテレで放送されている、おかあさんといっしょの“ガラピコぷー”が今春に終わるという、衝撃的な報道でした。また同時に、歌のお姉さんも卒業されて、新しい方になるという情報ももたらされたのです。
僕は、つい先日、体操のお兄さんが10年以上も活躍されて卒業された、と思っていたから、ちょっと驚きました。もちろん、長く続くのは”番組”であり、中の人たちはきちんと世代交代というか、入れ替わっているのは当然のことではあります。
僕も、2歳と6歳の子がいて、テレビをつければEテレを推すわけです。我が家の愛車には、カーナビに音楽データが残されていて「いないいないばぁ」のCDが2枚分聞けるから、ドライブ中に何度も聞いています。
ガラピコも歌のお姉さんの卒業も、どちらも驚くのだけれど、そんな風に驚いてしまう、そして寂しさを感じてしまうのは、なぜなのでしょうか。
”おかいつ”と略されるその番組を、少し前から見始めたという友人がFBで、ガラピコぷーに出てくる犬のキャラクターが、ガラでもピコでもないことに驚いた、と書いていました。(正解は、チョロミーとムームー。)
僕の世代のリアルタイム”おかいつ”は、にこにこぷん。猫?のじゃじゃまる、ペンギンのピッコロ、ネズミのポロリが登場していました。
その3人(匹)をみて育ったものだから、のちのドラゴンボールにおける緑色の生命体を見れば、全く素性の異なる、まつ毛の長いペンギンを懐かしく思い出したものです。
そしてネーミングもさることながら、その内容には頭が下がります。教育的、と言ってしまえばそれまでだけれど、親でも教えられないことや、多様な存在への気づきを促してくれるのです。人間の世界とは少し違うけれど、そこでは人間らしいやりとりがあり、人間は出てこないのに、赤ちゃんから人間になっていく子らに、何かを教えてくれているような気がするのでした。
この特徴的な「おかあさんといっしょ」というタイトルは、果たしてどんな意味を持つのでしょうか。
きっとテレビ番組だから「お母さんと子が一緒に観る」という意味なのだろうと、ずーっと思ってきました。でも、今回のニュースに接してみて、もしかしたらそれは客観的な状況を示唆した言葉ではなく、主観的な思いを言葉にしているのではないか、そんなふうに思えてきたのです。
つまり、「この番組は、お母さんと一緒に子どもを育てているんですよ」なのかも知れない・・と思ったのです。
さらに考えてみると、もう一つの可能性も発見してしまいました。
「この番組は、お子さんと一緒に、お母さんも育てているんです」という視点もあるなと思ったのです。
テレビ育児と揶揄されてしまうこともあるけれど、少なくとも僕たち家族には必要な番組であるし、テレビを見ててくれると家事が進むというのは事実でもあります。
親の家事のための時間を作ってくれる番組でもあったけれど、何よりも、手遊び、歌、クイズ、お遊戯的なもの、いくつも遊びのヒントをくれるのです。テレビの前で音楽に合わせて踊る子を見ては、成長を感じる事も1回や2回ではありません。
新しい人形劇(あのガラピコぷーがジャンルとしては人形劇になるのは、意外だったけれど納得できる)も、きっと子どもたちが食い入るように見つめる世界が広がるはずです。
そして、歌のお姉さんが、変顔をキメるのを唖然として見つめてしまったのも、僕の中では懐かしい記憶。一つのヒントからボケて、ノリツッコミをたたみかけるあのコーナーが、僕は好きなのです。
番組は終わらないけれど、コーナーや出ていた人がいなくなるのが寂しくなるのは、相手に期待していたからで、相手から色々なものを受け取っていたからなのかも知れないと思いました。
子どもが小さい間の短い期間かも知れないけれど、一緒に子育てをしてくれた戦友であり、遊び相手であったこと、テレビの中の先生でもありました。そしてこれからもそんな存在であり続けることを祈りながら。
”おかいつ”に感謝を込めて。
おとうさんもいっしょ、です。