「合戦への誘い」の巻
年末の風物詩といえば、僕たちや年上の方達のイメージからしたら、「紅白歌合戦」であろう。僕が小中学生の頃は、歌番組と呼ばれているものはもっとあったはずだ。さらには、モノマネで歌う番組もある。
紅白歌合戦は伝統的な名前もそのままに続けられていて、すごい番組だなぁと思う。例年、全編を観ているわけではないが新しいものを取り入れたり、意外な仕掛けをしたりして、楽しませようとしている様子が伺える。やりすぎだとか、レベルが低いだとかって批判もあるだろうけれど。
しかし、歌番組としてだけでなく、今年作られた歌を通じて世相を振り返るには、とても穏やかで明るい時間が過ごせるような気がする。
昨今では、男女を明確に紅白でわけることにも違和感があるような気がしていて、勝負なのかもよく分からない。紅白横断的なアーティストもいる。
昔話の「さるかに合戦」がいつのまにか「さるかにばなし」に改名しているように、いつか「紅白歌合戦」も「紅白歌まつり」とかに改名されるのだろうか。
とはいえ、子どもの頃から赤と白の戦いは馴染み深い。
運動会だけでなく、古くは源平の合戦における旗印に由来しているというし、彼の国の旗の色も(バングラディシュじゃないよ)、はたまた人の一生も、生まれてすぐに”赤ちゃん”と呼ばれ、寿命を全うすると”白い装束”で葬られる。
話を「紅白歌合戦」に戻そう。noteで、それをやろうとしている人たちがいる。歌ではなく、エッセイを繰り広げるのである。その名も「紅白記事合戦」である。
本家の紅白は、事前に出演歌手が発表され、曲順も決まっているし、始まる前からそれぞれのチームのバランスが取れている。それぞれ個々の質は差があるけれど、ボリューム的には均衡が取れている。
しかし、この記事合戦は、たった1日だけの投稿指定日に一斉にエッセイを投稿する。唐突に、赤だ白だと喋り出すわけではないが、それぞれが持ち寄った赤か白にまつわるエッセイに、良くも悪くも創作(小説)とは違った広がりがあることは疑いようがない。
実は僕は、どちらの色で参加するかは決めているのだけれど、肝心のエッセイが書けていない。参加する色は、文字ではコレと書いていないものの、この数日かけてみなさんの視覚に訴え続けているから、見るとはなしに見ているはずである。
色の理由は、当日公開するエッセイの終わりに明かしたい。ともかく、まずはエッセイが書けないことには参加できないので、いま必死で記憶を辿っている。
これは僕の弱音の言い訳で終わるわけではなく、お誘いのための投稿である(その割に、前置きが長すぎる)。
12月22日(日)、本家よりも少し早い“紅白”に出場してみては、いかがでしょうか。(こちらの記事を、必ずご確認ください)
アドベントカレンダー、やってます!
昨日は、ミーミーさん。コメダ珈琲のモーニング、いいですよねぇ。幸せな投稿に、読んだこちらも嬉しく、羨ましくなります。子どもたちが大きくなったら、みんなで行きたいなぁ。