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欠けたマグに感謝を

欠けてしまった。

磁器特有の真っ白な地に、深い青色の模様が描かれているマグカップ。とても気に入っていた理由でもある、薄くて口当たりの滑らかな“縁”が欠けてしまった。

原因は明らかだし、時間を巻き戻したくなる。

その日は帰宅時に何故か腹痛に見舞われ、晩御飯を摂らないまま、家事を離れ、家族からも離れ、ゆるゆると回復しているような、していないような身体を持て余していた。

妻は、子どもたちとバタバタと寝る支度をしているのに、お腹の痛さで何もできない(ご飯を食べることもできない)自分が何か不甲斐ない気持ちになってしまう。

だいたい、調子が悪い時には、諦めて休んでいればいい。しかし、そういう時には謎の責任感が湧き上がるし、できるはずがないのに少しくらいなら出来るだろうと、よろよろ動いてしまうのがよくなかった。

いつものように、食洗機から皿を取り出して水滴を拭う。使用頻度の高い、手のひらサイズの丸い皿は、何枚も使い、何枚も洗う。

左手で掴み上げ、右手の布巾で拭う所作も、いつもと変わらない気がする。拭いた食器を右手で持ち直して、シンク下から引き出した収納に重ねる。数が多いので、素早く動かなければいけない(と思っていた)。

掴む場所がよくなかったのだろう。丸い皿が、手から滑り落ちる。あっ!と息を呑む。皿が落ちたのは、収納棚に並んだいくつかのマグカップの上だった。

ガシャ!

食器同士がぶつかり合う音はしたが、パリンと壊れるような音は混じっていなかったはずだ。おそるおそる皿を持ち上げると、マグカップは先ほどと変わらず口を開けていた。

しかしよく見ると、ひときわ背の高いマグカップの縁が、白く滑らかな円の一部が、ざらりとした色に変わっていた。ほんの少しだが、欠けていた。

あぁ、やってしまった。大切に使っていたのに、雑に扱ってしまったほかの食器によって壊れてしまった。兎にも角にも、握力のおぼつかない手で、食器を扱ってはいけなかったのだ。

ようやく回復していたお腹が、少し痛くなったような気がした。

子どもたちの寝かしつけを終えて戻ってきた妻にも報告し、寂しさを共有する。

そのカップは贈り物でいただいたものだった。いわゆる高級食器だったが、手に馴染む質感も、口当たりの優しい縁の厚さも、使い易く心地よくて気に入っていたのに。

食器が割れると縁起が悪い、なんて言われている。

しかし、皿が僕の足に当たっていたら怪我をしていたかもしれない。収納にある別の食器がバラバラに割れて片付けに難儀していたかもしれない。身代わり、なんて言葉がぎる。ごめんよ。

扱いに優劣をつけていたはずはないが、高い食器と安い食器には、注ぐ視線が違っていたのだろう。

僕は日頃、あまり物を壊すことがない。誤って物を壊してしまうことが少ないから、こういうハプニングが起こると、途端に縮こまってしまう。

「いつかは壊れるから」と言ってもらえるのはありがたいが、その“いつか”は自分発でないことを願う。



アドベントカレンダー、終盤です!

昨日は、花丸恵さん。先日のせやまさんに続いて、創作(小説)を書いていただきました。いやほんと、書いていただきました。(嬉しいので2回言いました)

書く人は、みんな読んでほしい。


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もつにこみ
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