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救いの神は、去っていった

「あぁ、無くなっちゃったね。」

僕と妻は、目の前の事実を受け入れられなかった。何度めくっても変わらないのが分かっていながら、メニューを繰り返し眺めた。


僕たち家族は、自宅から少し遠いその複合商業施設モールに来たときには、いつの頃からか、夕食も一緒に済ませてしまおうと、この店に来ることにしていた。

思えば子どもたちにとって、そのレストランチェーンとの”初めまして”はこの店だったかもしれない。壁には、新商品やキャンペーンを声高に喧伝するポスターではなく、フレスコ画のような落ち着いたルネサンス期を思わせる額絵が飾られている。

何度か来るようになったのは、キッズメニューが二度見するくらい低価格だったことが、1番の理由だったかもしれない。家族でしっかり食べても、ほかの店の6割くらいの金額で抑えられた。

繊細というかワガママというか、我が家の子どもたちは外食が好きなのだけれど、食べられるメニューの幅はかなり狭い。初めての店では、子どもたちが注文したものが残るのを見越して、親は最小限に止めることもある。

この店では珍しくそんなことも起こらず、初回に頼んだメニューが子どもたちに合った。

コーンスープ、ポテトフライ、マヨコーンピザ、シーザーサラダ

これが子どもたちの、定番にして限定のオーダーになる。2度目の来店以降、9歳と5歳の子はこれを食べれば満足とばかりに、メニューも見ない。席に着くや否や、”難しすぎるまちがいさがし”を始める。

さらには、僕も妻もたくさん食べる方ではないし、お酒も飲まない。「ワインがとても安いんだよ」と力説する大人が多いけれど、それすらも不要な、ある意味リーズナブルな胃袋を持っている。

注文方法も紙に書く(当時)やり方で、何を頼むか記憶したり、店員さんの目の前で優柔不断を発揮しなくても良いので気が楽だ。

そんなふうにして、気軽に行けるはずだったお店が、変化したのはいつだっただろう。何度目かの来店で、それは起きた。その日も、店内の雰囲気は全く変わらないのに、目の前で開いたメニューが変わってしまっていた。

あれ?ちょっと減ったかな?なんて思って、普段はほとんど見なくなったキッズメニューも開くと、こちらも明らかに減っていた。裏も表も、隅から隅まで見つめたが、残念なことに、マヨコーンピザが姿を消していた。

家族全員で食べられるはずの、シーザーサラダも姿が見えなかった。

子どもたちは、そのピザが無いならメインがない。チーズやパスタは苦手、熱々のドリアも苦手、その日は何を注文したのか、今となっては思い出せない。冒頭の言葉は、そんな状況に遭った僕のつぶやきだった。

たったの2品だが、僕たち家族の定番となっていた料理がメニューからいなくなっていたことは、思いがけず衝撃的なことだった。「もう来なくてもいいか」と、家族の意見が一致してしまった。

その一件以来、服を買いに複合商業施設モールに行くことはあっても「あの店で、ご飯食べて帰ろうか」とはならなくなってしまった。

その店のマヨコーンピザを真似て、ピザ生地を買ってきて焼いたりもしていたが、よく買っていたピザ生地も最近店頭から姿を消してしまった。寂しすぎる。

初めて家族で、その店を利用したとき「こんなに美味しいのに、こんなに安くて、まるで救いの神だ」と思った。しかし、僕たち家族の前から去って行ってしまったような気がする。

将来、それぞれの料理が復活したあかつきには、また家族で食べに行きたい。



同業者ということで、なんとなく遠くの方から見つめておりましたが、ずっと心の中にあった、サイゼリヤへの愚痴慕情を吐き出したくて堪らなくなって、こうして書いてしまいました。

ファンのみなさんの投稿に水を差してしまうようで恐縮ですが、個人的な思いが昇華できたこと、そして復活を願う気持ちが、いくばくか誰かに届けばいいなと思います。

福島さん、素敵な企画ありがとうございました!

#サイゼ文学賞


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もつにこみ
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