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読むことは、見つけて考えること (エッセイストのエッセンス#6)

エッセイストのエッセンス【投稿の目的】
名乗ったからには勉強したいということで、少しずつエッセイを読んだメモ。不定期シリーズ。

絵本が、子どものための本だと思っていたのは、それこそ僕が子どもの頃でした。成長するに従って、字の多い本を読み、やがて絵本を卒業するものだと考えていました。

子どもながらに、絵本の絵は文字化する前の説明書きのような役割を担っているのだ、と考えていたのです。

そんな大人びた可愛くない考え方を持っていたのは、多分6歳くらいのとき。・・とはいえ、保育園で毎月のようにもらえる絵本を楽しみにしているような子どもでした。

そんなとき、彼の作品を手にしました。なんと、文字がないのです。でも、絵がいままでの絵本では見たことがないくらい“大人びて”見えました。外国の、細かい、ちょっと怖い、そんな絵でした。

作品の名前は「ふしぎなさーかす」といって、家の中でおもちゃたちがサーカスを繰り広げるような、そんな物語でした。以来、その作家の名前を覚えてしまい、子ども心に印象に残る絵を描いていたのです。

そんな彼のエッセイを見つけました。

かんがえる子ども
安野光雅

小学校の先生の経験がある筆者の視点は、絵本作家だから何となくファンタジーな雰囲気を想像していましたが、むしろとてもリアルでした。

好々爺の独り言という語り口ではありましたが、そこには絵本を通して彼が目指していた子どもの姿があるように思えました。子どもだからって、甘く見ない・・・それは前回のこの連載で書いた、詩人まど・みちおさんにも通じるところがあります。

考えるための材料を絵本で提供する、字で書かない、すぐに教えない、自分で見つける・・ことへの挑戦を絵本でしているようで、それを子どもの横にいる大人が先取りしてしまう・・のが筆者は残念だと語っていました。確かに、すぐに答えを教えたくなるのが親ってもので(笑)


これは・・!と感じた言葉を書き出してみます。

子どもは早く大人のようになるより、子どもらしい世界に存分に生きて、自分から「お行儀よくした方がいいらしいぞ」と感じるときが来るのを、待つ方がいいと思います。ーー31p

子どもが自分で気がつくことを期待しつつ、子どもは子どもらしいままでいい・・そんなふうに、大人にとって失礼でも、それは子どもらしい世界なのだから仕方ない、という筆者のおおらかさの感じられる表現です。


最近は、ひとりでいることに慣れていない人が多いように感じます。「ひとりがいい」と思えるようになったら、色々な場面で、こわいものはなくなるのではないでしょうか。ーー99p

誰かと繋がっていないと怖い・・という人間関係から抜け出してみようという提案。これまで集団生活や、同調圧力みたいな四字熟語の中で「みんなで渡れば怖くない」のような状況になっているのは、確かに怖いなぁと思いました。一匹狼というほどでもないけれど、ひとりでいられる心を持てるようになるには、どうしたらいいのでしょうか。


本を読むことは、ひとりの仕事ですから、競争にはなりません。また、表面だけきれいにするお化粧に比べて、本を読んでいることは、ほかの人にはわかりません。けれども心の中は美しくなり、ひそかに誇りを持つことができるのです。ーー104p

筆者は、本を読むことは人生を生きることだと説いています。本を読んで生きた人は、同じ10年生きた人でも、20年も30年も生きたことになる・・これはとても豊かな視点でした。読書がもつ未経験の先取りができることに、筆者は期待をしているのです。

考えるためには、本を読むこと。本を読むことで、さまざまな考え方に触れることができる・・そんな関係性が、子どもの頃から出来上がっているのだとしたら、親としても、親じゃなくても子どもには本を読んでほしいと強く思ってしまいました。

もしかすると、筆者はたくさんの本を読んで、その考え方を得たというよりは、さまざまな失敗を経て、もっと本を読めばよかった・・と悔しがっていたのかも知れないと思いました。そのことを、子どもたちに伝えたい、そういう思いだったのかも知れないなと気がつきました。


彼は、少し前にこの世を去りました。その時のニュースを聞いて書いた投稿もあります。常に彼の作品を見ていた訳ではありませんでしたが、時々目にした、その緻密だけれど、どこかほのぼのした作風には、力が抜ける思いでした。



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