神経衰弱の難易度
かつて、家事の多さと幅の広さをして「名もなき家事」などと呼び、本まで出ていた。すらりと口にできる「名もなき家事」は、かなり秀逸な言葉だと思う。
名前をつけられない、名前のついていない、繁閑問わず細かい家事について、面白く表現し、あるあるネタとして、または励ましとして書かれた作品は、多くの家事従事者を勇気づけた。
あるある!と笑ってしまう家事たちは、やったことがある人にしかわからない可笑しみがある。確かに、その時にはイラッとしているし、できればやりたくないことだけれど、そういえばこれってなんて名前の家事なの?と思ったら、日本じゅうで同じことをしている人がいるんじゃないかと励まされる。
その作品の中で、洗濯物の中から靴下を合わせる作業を「靴下神経衰弱」と名付けていたものがあった。漢字にするとなかなかの迫力だけれど、トランプなどで裏返したカードから同じ数字で対を作っていくゲームである。
対になる靴下同士をまとめる作業は意外と手間だ。同じような色味だけれど柄が違う、同じ柄なのにサイズが違う(きょうだい用)、そもそも片方しかない、など畳まなくていいけれど探すという作業が追加されるのだ。
かつて、僕の投稿へのコメントで、同じ靴下を揃えている、というものがあり印象に残っていた。かねてから僕の靴下が穴が開き始めていたので、そのアイデアを実行に移すことにした。
ネットで探すと、やはり需要があるのだろう。すぐにメンズソックス6足セットが見つかった。無地の濃紺、着る服を選ばない落ち着いた靴下だった。
同じ靴下なので、2枚あれば1組になるから洗濯も楽になるぞ、と思っていたら、まさかの落とし穴があった。
僕が買ったのは“足袋型”の靴下だった。親指と人差し指の間が分かれているデザインなのだった。
色や大きさは全く同じなのだけれど、左右の形があった。右には左を、左には右を合わせなければ、1組にはならないのである。
ある朝、着替えをして靴下を履こうとしたら左足が2枚重ねられた組だった。おそらく右足も同じような組があるはずだ。束ねてくれたであろう妻に告げると「足袋型、むずい」と言われてしまった。ごめんね。
毎日履いていることもあって、殆ど途切れずに洗濯物として供給される。結果、神経衰弱の難易度が上がってしまったのだ。
難易度を下げようとしたのに、難しくしてしまった。足袋型に限らず五本指ソックスでも同じことが起こるだろう。その場合、単色で揃えるのではなく色くらいは分かれたほうがいいのかもしれない。