ハイハイをずっと
赤ちゃんから子どもへ至る過程は、受け手によって期間の長短はあるものの、1歳になるまでがその変化の大きな部分であるように感じています。
現在、生後11か月の子は先月くらいからハイハイらしき動きをはじめ、今ではハイハイをほぼ完ぺきにマスターしています。その姿は、赤ちゃんから子どもと呼ぶにふさわしい4足歩行なのです。
ああ可愛い。
タイトルの通り、ハイハイをし続けてほしい、というのがこの記事の結論でもあります。
二人目の子は、一人目とはかなりの違いがあります。そのひとつが、このハイハイ。
上の子は、ほとんどハイハイをしなかったのです。基本的な移動は横回転。ひたすらゴロゴロして動くのです。角度が必要な時には、這いつくばって転回して、またゴロゴロ。立ち上がる直前期のゴロゴロは、相当なスピードでした。
ゴロゴロしながらも、視線は目指すべき方向を見ているので、いま思うと三半規管の発達に大いに寄与したのではないかと感じています。
以前、仕事で赤ちゃんの研究をされている大学の先生とお話しをさせていただいた時、赤ちゃんの時は、いろいろな能力を持っているのだけれど、新しい能力を獲得するために、いま持っている能力を手放さないといけないのだと教えてもらいました。
日本語を話すために、英語やフランス語が聞ける能力を手放す・・みたいな(じっさいに、赤ちゃんは多言語を聞き取る能力があるらしいのです)。
確かに、ゴロゴロ移動という能力は、いつしか二足歩行や駆け足にかわっています。ハイハイもやがては立ち上がり、歩き出すはずです。そんないまも、机に手をかけてつかまり立ちをしようとしている姿に、はっとさせられます。
できることが増えることは、とても嬉しいことで、生きていくためのひとつひとつの手筈を整えているような印象があります。
とはいえ、能力は向上するのではなくて獲得するもので、もう戻らない能力も手放してしまう・・という話しは、少しさびしさも感じます。
少し能力とは違いますが、「知ってしまった後では、もう知る前の自分ではいられない」という言葉があり、必要なものを獲得すると同時に、不要でもあり必要でもあるものも手放しているのかも知れないと、やや残念な気持ちになります。
しかし、手放してしまったものを惜しんでも戻らないわけで、獲得したものをどう生かすかが、子どもだけでなく大人にも大切な視点なのだと思います。
そういう視点では、子がこれからどんな風に成長していくのか、楽しみに待てるかどうか、その能力を試されている気がしてくるのです。