やりがいと手応え
ボランティアの精神は尊くて温かなものだけれど、やりがいを求めるボランティア活動が、問題になってしまうこともある。
震災などの大きな災害が起こると、ボランティアをしたい人が増える。もちろん、困っている人を助けたい気持ちは大切だが、困っているのは最前線にいる人だけではないことを考えている人は、案外少ないと思う。
東日本大震災が起きた時、僕は行政職員として被災者のために、市民からの物資を集める取り組みをした。
もともとは、地震のあと、物資を提供したい人から連日のように電話がかかり、メールが送られていたからだ。温かい気持ちで電話して来たたはずが、こちらが「まだ、受け付けられません」と告げると、罵詈雑言を投げつけてくる人も少なくなかった。
集積場所を確保し、輸送手段が整った段階で、集める物資を限定して、1週間の期間を設定して募集した。
初日に気がついたのは、物資の仕分けの人が足りないということだった。たった2人の職員でまかなえる作業ではなかった。
新品を持ってきてもらうはずが、中古のものだったり、重たいおむつの箱を開けてみれば、さまざまなものが混ざっていたり、当たり前だが箱の大きさも違うし、箱に入っていないものもあった。
集めていないものは持ち帰ってもらう、それにも不承不承という顔をする人もいた。
結局、慌てて関係部署と相談し、仕分けのボランティアを募集。期間中は、数人集まってくださった。
ここから、あなたがそのボランティアになったことを想定しながら読んで欲しい。
無機質な部屋に入ると、たくさんのダンボールが積まれている。これらを決められた場所に運び、積み上げていく。
持ち込まれたものを区別し、品物を分けたり、サイズを分けたりしながら、決められた場所に収めていく。
持ち帰りをお願いするのは、行政職員の役目だけれど、「寄付ありがとうございます」と相手に言えるのも彼らだけだった。
ボランティアは黙々と仕分けと積み上げを行うだけ。忙しくはないけれど、なんとなく退屈な瞬間が断続的にある。
このボランティア活動、やって良かった!またやりたい!と思えただろうか。
「また明日も来ますね!」と言ってくださる方なんていないし、結果、複数日来てくださる方は、ほとんどいなかったように記憶している。
期間の後半は、手持ち無沙汰の彼らが、送る箱にメッセージを書こう!と思いつき、手元のマジックで、箱に「がんばれ!」と書き込んでいた。
やがて、物資の区分けよりも、箱に書くことが主だった仕事になってしまった。ダンボール箱は、マジックの黒い線で汚れていった。
被災地のボランティア作業も、最前線で泥かきや掃除をするのが“人気”らしい。避難所の掃除や炊き出し、物資の配布も、分かりやすい。
しかし、避難所に向けて仕分けをする倉庫内の作業は手が足りないことがあるらしい。
被災者に直接「ありがとう」と言って欲しい、ボランティアとはそういうものだ、と思っているのかもしれない。“分かりやすい人助け”がしたいのかも知れない。
良し悪しを言いたいのではない。僕自身が、そういう面があることを知ったのだ。
現代的な贈与について書かれた本に、献血をする若者が減っているとあった。同じボランティアなら、目の前に困っている人がいる、人助けしたと感じられることが求められているのではないかと考察されていた。
ダンボールに書き込んでいた彼らも、きっとそうだったのかも知れない。
「がんばれ」「負けるな」「きっと復興できる」
一方的に発信して、“ありがとうと言ってもらったこと”にしたかったのだろう。
やりがい、は相手から何か返してもらわないと、手応えがないと、生まれないものだろうか。やひろさんの投稿は、ふとあの時のことを思い出させてくれた。
昨今たびたび話題になる、想像力が足りない、とはあまりにも短絡的な答えだろうと思う。