ススメ、ムスメ
4歳の娘がいます。生意気で、わがままで、明るくて賑やかな、ごく普通の娘です。
僕は、父親になったときに一つのことを決めていました。それは「娘をひとりの人間として扱うこと」です。そんなの当たり前だと思うかも知れませんが、はじめての「僕たちの子ども」に浮足だたないように、そう決めたのです。こどもは親の所有物ではなく、人間なのです。
その心構えがあったから、彼女の名前を決めるときには、「子」という字を使いたくなかったのです。それは、大きくなって大人になったときに「子」のままでは窮屈な思いをするのではないかと、想像したからです。
さらに娘のことを口に出したり、こうして書いたりするときに、「こども」ではなくて「むすめ」と表現しています。幼くて、意思決定できなくて、話を聞いていない、そんな子ども像に当てはめるのではなく、「小さな人間」として見ていること、そして聞き手や読み手にもそれを知らせたいという動機があるのです。
こども、という言葉を否定しているわけではありません。特に、ひらがなで書いたときには、ふくふくとまんまるでかわいい、そんなイメージが浮かびます。親バカですが、4歳の我が娘はまさに「こども」な姿かたちをしています。おなかもほっぺも、ふわふわです。
こんなことを書いたのは、もうひとつの命が我が家にやってくる日が近づきつつあるからです。出産予定日は10月中頃ですが、予定日なのでどうなるか分かりません。ただ、新しい命が、娘にも大きな変化をもたらしてくれると期待しています。
こんなふうに書いていると、おおらかで穏やかな子育てをしているようですが、現実はまったく違います。毎日バタバタして、怒って泣いて、宥めてすかして。新しい命を迎える準備なんて、少しもできていません。ある本に、「一人目に愛情深く接していると二人目のときには、こんなに温かい家族の仲間にどうぞ入ってください」と一人目が歓迎するのだと書いてありました。
じっさいそれは理想的ですが、僕たち家族には実現不可能なことのように思えました。そもそも娘の感想が分からないですし。ただ、こどもを人間として見ていくことは、きっと家族のためになるはずです。
娘は、お姉さんになったらやりたいことを少しづつ考えているようです。娘が妻にしてもらっていたこと、私がしていたこと。すぐにはできないこともありますが、どんどん経験して、家族をより強くしてほしいと願っています。