書き方の違いを考えてみる
僕がnoteの活動内容を説明するときに使うフレーズです。なんとなく、noteの中では、大括りにこの2つの分類があるように思って、そう答えています。フィクションとノンフィクション、そんな分け方でもありそうです。
ただ「創作≒フィクション」と限定してしまうと、さきの創作大賞はフィクションだけのコンテストになってしまうわけで、創作という言葉のもつ意味は、とても広いのですが。
かといって、創作を小説と表現すると、個人的には長短が気になってしまって、長編か短編か、短編だとしてもどのくらいの長さなのか、などなど余計な思考が邪魔をするのです。
とある音声配信を聞いていて、インタビューの場面で「エッセイと創作の書き方って違いはありますか?」という問いかけがありました。僕ならどう答えるのか、考えてみたら、明らかに違っていることに気がつきました。
先日書いた創作「市役所壁画」は、一応の章立てはあるものの、書く順番は本当に順不同でした。よし終わった!と思えた時に書いていたのは、中盤の回想シーンでした。書きたいことは決まっていたけれど、それに肉付けする作業を何日もかけていた印象です。
対して、エッセイは記憶をたどりながら、最初から最後までザーッと書いて、余裕があれば推敲をして順序をみることがある程度。これは、自分のエッセイに自信があるとかそういうのではなくて、単に時間がないから。読み返してみて、誤字があったり、もっとこう書けばよかった、と思ったところは投稿した直後でも、1年後でも修正しています。
ただ、僕の書く創作には、自分の体験や考えていることが滲み出ることがよくあります。登場人物のセリフや思考は、書き手である僕が考えたことでもあるし、設定そのものが自分に近いとか、すでに投稿していたエッセイを物語ふうにアレンジしているものもあります。
エッセイを書いていると自分自身を鏡に映しているような心境になるのですが、創作は窓の外から中を眺めているような心境になるのです。自由に何でもかんでも書いているように思えて、ふと気がつくとガラスに映っていた自分の姿に緊張する、みたいなことがよくあります。
先日、創作を書いて、たった1日だけ指定された日付で投稿する、という企画に参加させていただきました。書き始めたのが3日前とかで、間に合うか不安でしたが、無事に投稿できました。
その企画に参加された投稿を読んでいると、ふだんから創作を書かれているみなさんの発想に感心してしまいました。なんというか、自由、なのです。自分の書いた作品が、果たして創作なのかと不安になるくらいでした。
しかし、僕の作品に寄せていただいたコメントに驚きました。「設定が意外」「この発想はなかなか出ない」「設定、ぶっ飛んでる」…自分の考えた設定が、あまり突飛ではないと思っていたのは自分だけでした。やはり、創作は奥が深いと思わされましたし、これからも創作を書くことが楽しみになりました。
ちなみに、この投稿はエッセイとして書いています。最初から最後までザーッと書いて、ほぼそのまま投稿しています。