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ナシから生まれる価値

昨年のこと。5月の連休が過ぎて、梅雨前の晴天が続く気持ちのよい季節だった。

妻は会社を閉じることを決めた。

稲城が誇る特産の「梨」、その実は農産物だから、形がいびつだったり、傷がついてしまう実もあった。そのような「市場に出回らないけれどちゃんと作られた実」を買い取って、ドライフルーツに加工する。地域で獲れた実を、地域で暮らすママたちが加工し、販売する。妻の会社はそんな会社だった。

梨のおいしい稲城に暮らしているからか、梨の季節が待ち遠しい。稲城で獲れる大玉の梨は、とても瑞々しく甘い。市内のあちこちにある路面販売店(通称、梨小屋)には、買い求める人たちの行列ができる。

特産の梨、だからこそ通常の販売ルートに乗せられない実がある。それらを農家から買い取り、ドライフルーツを作る。製造には、子育て中のママたちが関わっていたこともあった。完成したドライフルーツを、街のお店やネットで販売していた。

妻の会社、なんて書いてしまったけれど、ちゃんと書いておきたい。もともと、妻の会社なんてものはなかった。

会社の立ち上げには、妻だけでなく地域の知人たちが関わっていた。農家さんとのつながりを広げるだけでなく、地域のお店への販路を広げたり、マルシェへの出店などもしていた。途中、妻が社長になることになって、さまざまな紆余曲折を経て、成長はしていたように見えていた。

僕は、土日もなく昼夜も問わず仕事している妻の働き方を見るにつけ、体調には気をつけて欲しい、と思うばかりで、直接的なサポートはほとんどできなかった。そうして、その会社を立ち上げて4年が経っていた。

しかし、忙しさに比べ、収益と呼べるような数字は増えていかなかった。会社を閉じるまでの1年間は、ほぼ妻ひとりで会社を続けているように見えた。

僕たち家族にとって、その会社は生活の一部となるような存在でもあった。商品が売れれば嬉しかったし、梨の季節には、我が家の冷蔵庫が、農家から仕入れた梨で埋まった。僕の同僚にも、いくつも商品を買ってもらった。マルシェに参加するとなれば、家族でその場所で過ごしたりした。

結婚してすぐのことだったと思うけれど、妻がやりたいことについて聞いたことがあった。それは雇用を生み出す、ということだったと思う。壮大なことのようで、当時は「そんなことできるの?」なんて返した気がする。

そして数年経って、妻が社長となった会社を通じて、地域のママたちを従業員として雇うということはできた。ただ、給料を支払うということのインパクトはかなり大きく見えた。コロナ禍にあって、宅配業者の待遇改善が叫ばれ初めて、最低賃金が徐々に上がっていくような時期だったから、支払う側の不安はふくらむばかりだった。

作らなければ売れないし、売らなければ作れない。

当たり前のこの循環がいかに難しいか、日々頭を悩ませていた妻の姿があった。お菓子やパンなどの材料としても販路を増やそうとしていたこともあったけれど、個人店とはいえ、大量にあると見込まれる発注に応えられない難しさもあった。

会社を作るときにも勉強を重ねて、時間をかけて、さまざまな手続きをしていた。会社を閉じる時もまた、多くの時間を使って、人と会ったり書類を作ったり、常にお詫びをしているような時もあった。

僕もnoteで書いたこともあったので、気にかけてくださった方々に恵まれた。商品を買ってくださった方が多くいたことは、驚きもあったし、遠くまで稲城の梨の美味しさが届いたことは嬉しいことだった。(個人情報を漏らさないという観点から、僕はどなたが買ったのかは知らなかった)

会社を閉じることについては、残念がってくださる様子が僕の目からも多く見受けられた。考えてみるとそれは、地域で仕事をするからこそ、相手方との関係性を丁寧に構築してきた、妻の姿勢の表れでもあった。

仕入れの際、ある農家さんが「もう私たちは若くない、だから新しいことができないんだ」とおっしゃったと妻から聞いた。それは妻を励まし、地域の可能性を広げる言葉でもあった。

会社を始めた頃「仕事をしていなかったら生きていけない」と言った妻。経済的な理由というよりは、それがもう一つの居場所であることは、僕にも心当たりがある。社長になった妻は、強くなったわけでもなかったし、まして偉くなったわけでもなかった。


子どもたちが成長したとき、稲城にどれだけの梨農家が残っているのかは分からない。僕たち家族の間でも「ここ、梨畑だったよね」という会話が、年々増えている。

妻が、会社を立ち上げたいと思ったきっかけは、梨畑の隅でたくさんの梨の実が転がっていたのを見たことだった。美味しく実った梨が、傷や色のために市場に出せず、廃棄のため地面に積み上げられている光景は、仕方のないこととはいえ衝撃だった。

妻が社長として働いていたのは数年間だったけれど、その間、僕たち家族はさまざまに変化していた。会社を閉じて、明らかに変わったのは、休日に家族で過ごす時間が増えたということだ。それまでは日曜にマルシェがあると前日の土曜はマルシェの準備などの”仕事”があった。

しかし今でも、地域で会う人や僕の職場の人からも、妻の会社や商品のことを聞かれることがあって、気にかけてくれる人の多さにありがたく思う。

妻はこれまでも、これからも、ずっと稲城の梨が、農家さんが気になって仕方がないだろう。

いつになるのか、いつがいいのか、そしてどんな形がいいのか、それは分からないけれど、妻の”かなえたい夢”を応援したい。



#かなえたい夢

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もつにこみ
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