御池 #毎週ショートショートnote
村のどこからか、母親らしき女の啜り泣く声が今夜も聞こえていた。
……かくなるうえは、もう、あの寺を沈めるしか手立てはないのじゃ。
重苦しい空気の中で、長老は声を絞り出した。
得体の知れない病が、町から入って来てひとつき。瞬く間に村の人々の姿が消えていった。熱や痛みで苦しみながら命を落とした者、逃げ出した者、町に捨てられた者…村じゅうが悲しみと恐怖に暮れるなか、自らも病に倒れ、伏せっていた長老が村に残る男たちを集めた。
長老の言う通りに、寺を沈めるために周囲に堤を築き、川の水を引き込んだ。その日、村は天恵のような大雨に見舞われ、寺はたった一晩で水の中に沈んでいった。
沈む寺の様子は、村人の誰も見ることはなかった。
池となったその場所は、誰からともなく御池と呼ばれ、しばらくは藻が埋め尽くした緑色の水だった。いつしか藻が消え、中で泳ぐ魚が見えてくるようになり、やがて晴れた日には水底が透き通るほどの美しい池となった。
寺は、どこにも見えなかった。
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