ビストロと炭酸
一年に一度くらいは、と背伸びして行くビストロが表参道にある。
と言ったけれど、忙しさにかまけて、一年が二年三年と段々と開いてしまって、今ではなかなか行けない場所になってしまった。
初めて訪れた時は、場違いで筋違いで、まさにお門違いだった。全く心地よくない緊張感と、自分には合わないんじゃないかと思う恥ずかしさに、席を立ちたくなった。
しかし、その店を訪れたのは友人が働いていたからだった。高校の部活で知り合った仲で、彼は大学を中退し、パティシエになった異色の経歴を持つ。彼の実家は、町中華を営んでいた。
あまり消息を掴んでいなかったが、ある時、彼の結婚式があるとのことで招待を受けた。その時に、表参道のビストロにいることが分かったのだった。
高級レストランの雰囲気を見てみたい!
ミーハー心と、妻にカッコつけたい心とで、その店を予約し、友人にも「今度行くよ」と伝えておいた。邪魔だろうけど、働いている姿を見られたらいいか、なんて思っていた。
お店のある場所に着くと、途端に緊張してきた。ちょっと良さげな装いではあったものの、誰かに笑われないだろうかと勝手に不安だった。
お店に入り名前を告げると、役者のようなウエイターさんがアテンドしてくれた。テーブルが並ぶ部屋の手前に、ガラス張りのキッチンがあり、友人がそこにいた。取り澄ましたような表情で、少しも焦っていませんよ、みたいな顔をしている。あの頃と少しも変わっていない。
初めての来店で、その友人の計らいで随分と良くしてもらったこともあり、またそれぞれの料理の美味しさに感激したこともあり、その店は僕たち夫婦のお気に入りとなった。
翌年、その店を訪れた。
友人はもう店を離れて、彼の師匠の独立を支えるパティシエとして別の店で働いていた。ほかのビストロのことは分からないが、その店はとても雰囲気が良かったし、背伸びしている分、気分がとても上がった。
役者ウエイターさんが、ドリンクの説明をする。熱のこもった説明は、ミネラルウォーターに関するものだった。
「イタリアの○○地方で汲まれた、天然水なんです。洞窟の奥から湧き出て、炭酸がもともと含まれているんです」
僕たち夫婦はお酒を飲まないので、ワインの類も全く疎い。料理も脂っこいものが食べたいわけではなかったし、少し良い水を飲んでみようかという気分になって、注文した。
小綺麗な瓶に詰められた水は、確かに炭酸が含まれていたし、ミネラルウォーター特有のわずかな苦味もあった。しかし、あっという間に飲み終えてしまった。
その年は、タイミングが良くなかったのか、注文した料理が、昨年よりもボリュームが落ちていた印象だった。そんなこともあって、一本1,000円以上する炭酸水が、とても高くて意味の薄いものに感じてしまった。
それは妻も同じだったようで、店を出た後に、料理の感想よりもまず、あの炭酸水は次はやめとこう、という結論になった。お店が悪いのではなく、僕たちに合わなかったのだ。
別の年、その店に行くとボリュームは戻っていてホッとした。お店の雰囲気で背伸びしきった僕は、見えない棚まで手を伸ばしてしまったのかもしれない、そんなふうに考えることにした。
我が家では、実家の庭に実った梅の実を収穫して梅シロップを作る。それに倣って、スモモシロップを作ったこともあった。それらを炭酸水で割って飲むのが夏の定番である。
甘さも強いため、子どもたちも飲める。子どもたちは、まだ水割りだけれど、もう少し大きくなったら、一緒に炭酸割りが飲めるかもしれない。
口の中でシュワシュワと弾けるあの感じ、いつまで経っても、その刺激は少し緊張して、飲み込んでホッとする。