おむすびの日は、語呂合わせじゃない
もうそんなに経ってしまったのか・・というのがニュースの見出しを見て思ったことでした。寒い寒い冬、いったいどんなに怖かったかと想像すると、震えるような気持ちがします。
昨日で、阪神淡路大震災から27年。僕はずっと神奈川や東京という関東圏に住んでいるので、大きな地震はニュースで見るだけの経験でした。
そして、そんな祈念の日には、“おむすびの日”という顔もあります。避難所で配られたのが“おむすび”だった、今日と明日を結び、人と人を結ぶ、そんな由来も頷ける、大切な日です。
1000のおむすびを食す男こと、ハスつかさんの記事では、目標の1000日が近づくとともに、3回目を迎えたnoteでの“おむすびの日”を語っています。
「大きな地震があったんだって」
朝起きてきた僕に、母が教えてくれました。テレビには、怪獣映画のように壊れた街並みが映り、人が住んでいる日本の地域なんて感じる余裕すらありませんでした。
ボランティアという言葉が広がり、NPOが生まれ、上に引き上げて水を出す蛇口になった、そんなことを聞いたことがあります。
僕は当時、小学6年生でした。
少し遡って、その年度の始まりに、小学校では新しい委員会が発足しました。
その名も「福祉委員会」
学級委員、図書委員会、飼育委員などなど定番の委員会に加えて、学校生活で福祉のことを考えたり行動したりするという委員会でした。
その委員会には、そう、僕もいました。
募金や、ボランティアの体験のようなことをした覚えがあります。楽しかったのですが、今となっては福祉って何だったのかなと思う活動ではありました。
そして、いよいよ学校生活も終盤というところで、震災があり、数日後には朝の募金活動を始めました。金額は覚えていませんが、投稿する生徒たちから、募金を集めました。
また、学用品がないと聞いた子が、家にある使っていない文房具を集めて、被災地に送ろうと声を上げて、委員会で各クラスを回って箱詰めをしたりしました。
当時、それがどこに届いたのか、まったくわかりませんでしたが、きっと使ってもらえたのではないかと思います。
そして、大人になって公務員に転職した年度にも、東北で大きな震災が起こりました。これは、偶然というか、ほんとうに数奇な巡り合わせだなと思いました。
僕は、ボランティア活動はしたことがありませんでした。代わりというか、献血を積極的にしている時期もありました。
誰かを助けたいとか、そういう大それたことではなくて、元気な時にできることをやるという程度の考えでしたけれど。
ここnoteでも「あの震災」から連想する震災の記憶が、人によって違うこと、その反省の感謝を書いたことがありました。
ハスつかさん、書いていただきありがとうございました。立ち止まるきっかけになりました。もうすぐ1000だなんて、すごいですね。
おむすびの日・・それは、語呂合わせではない、大切な日でした。