着物で初詣、というタテマエ
新年といえば、初詣。例年、年明けから数日経ってから、地元の神社に散歩がてら出かけています。大晦日の夜、NHKの「ゆく年くる年」を観るたびに、寒い中で年が明けるのを待って、お参りしようとしている人たちを驚きの眼差しで見つめています。
今年は、親族がそれぞれ別々に、住まいの近くの神社の役割を担っていて、大晦日の夜から元旦にかけて、初詣客の対応をするために神社で番をしていました。新年も元旦祭という名前がついていて、神社の祭礼の一つなのですね。神社仏閣が地元の人に大切に守られているのがわかります。
今月の1日と2日は僕の実家にいたこともあって、3日に初詣に行ってきました。神社は自宅から徒歩数分のところなので、気持ちさえあればすぐに行けます。朝食後、下の子が「おそと〜」と言って泣くので、下の子と僕が近くを散歩してから戻ると、妻がいそいそと着物の準備をしていました。
「初詣に、着物着たいなと思って」
まだ上の子が幼い頃、妻は何度か着物をきていました。僕が、妻の誕生日プレゼントに着物を贈ったこともありました。
そんなふうに、妻が着物を着ているのをみて、僕も着物買いたいなぁ、なんて思っていました。思いが通じたのか、偶然にも実家に父のために誂えた着物があることがわかり、ありがたく譲り受けました。
妻が帯を巻くのに四苦八苦している中で、僕は箪笥から着物を取り出して、それぞれ広げては、ぐるぐると巻きつけ、兵児帯をささっと結んで、3分程度で着付け終了。
真冬に着物はかなり我慢を強いられることも多いのですが、温感下着と革製スニーカーで、なんとか凌ぐのです。新年の暖かだった2日間に比べて、3日は曇り。この時期らしい寒さでした。おしゃれは我慢、さもありなんですね。
出発前、子どもに撮ってもらった写真です。
僕の着物は襦袢が龍が描かれたおどろおどろしい柄なのですが、長着や半纏は模様や柄のないシンプルなもの。着てしまうと襦袢の模様は全く存在感がなくなりますね。
今回、半ば慌てるように妻が着物を着ようとしたのには、理由がありました。お正月らしさの演出?着付けの技術確認?着物のチェック?誰かに見せたい?
理由は、そのどれでもありませんでした。
「いま着ないと、処分することになるから」
断捨離や片付けのアドバイスの中に「一年使わなかったら捨てる」というものがあります、着物はどうやらその基準に引っかかってしまうようでした。
また、着物でもなんとか耐えられそうな寒さだったことも大きかったでしょう。さらに、着付けのための時間的余裕、子どもたちの面倒を見る大人(僕です)の存在があるのが、“いま”だったのです。
これでなんとか着物は捨てずに済みそうです。
男性用の着物は、目立つし動きが制約される面もあり、着物を着てひとりで出かけるにはまだ抵抗があります。
ただ、着ることは簡単なので、もっと涼しい季節に何度か着たいと思うのでした。着物を着ると、なんとなく背筋が伸びて、歩き方もゆっくりになって、呼吸も深くなる気がします。
初詣では、多くを願わず、とにかく感謝の気持ちを込めて手を合わせています。子どもたちのお参りの所作も段々とサマになってきて、これからも続けたいお正月の習慣です。