読むように聴け、音楽文庫!
私の音楽作品の柱の一つである『読むように聴け、音楽文庫!』について、勝手に思っていることを少し書いてみたいと思います。
音楽文庫でこだわっているのは、文庫という名の通り物語性です。世間ではよく、物語性のある音楽ということでジャンル分けがされていますが、それを押し詰めていったもの、すなわち物語そのものとしての音楽が音楽文庫なのです。
物語らしく、本格的な起承転結があり、ストーリーはドラマチックな展開を見せ、あるいは伏線の回収も行います。さらに三島由紀夫、萩原朔太郎ら敬愛する作家先生方のオマージュとしての作品もあり、音楽作品というよりは文学作品に近い内容となっています。だから「読むように聴け!」なのです。ライブでもそのようにお聞きいただくことをお勧めしております。
なぜ物語りにこだわるのかというと、音楽のもともとの役割の一つは、物語を伝えるための道具だったからです。音楽にのせて膨大な家系図や祖先たちの足跡、神話、伝説、物語などが暗記されてきました。
こういった何かを伝えるための音楽、というものはすっかり消えてしまいました。繋がりのある二次元の線であるべきものが単発的な一次元の点になってしまったのです。長すぎる、需要がないなどいろんな理由があるでしょうが、何か大切なものを引き継いでいくといった機能までが安易に消されていくことは問題です。(略)
作品としては、萩原朔太郎の猫町にインスピレーションを得た『猫街』、ホームレスの酔っぱらいとキャバ嬢の奇跡の純愛を描いた『一日前のメリークリスマス』、沖縄の銀行におけるある都市伝説を歌った『不機嫌な金魚』、もはや一編の短編小説『橋の上の魔物』、沖縄の詩人山之口獏がモデルのナンクルナイサー父ちゃん『オー・モンペール』、沖縄戦の悲劇を一組の男女の運命に載せて歌った『デイゴの花の満開の向こう』、藍染工房の繊細な乙女の恋心を歌った『藍染めの歌』、フランスの詩人Pierre Barrout氏のオマージュ『ラスト・キャバレ』など盛沢山。
Youtubeにも一部アップされておりますので、関心のある方、「こいつ、メジャーでもないのに大口叩きやがって」と思われる方はぜひご視聴ください。
タイトル 一日前のメリークリスマス
作詞作曲:Mona Shima
MC
よくある話なんだが、いろんなことがあって、
俺は、自分という奴、そして自分の人生に絶望しちまった。
理由?それはなんていうか…。ああ、もう忘れちまったなぁ。
いいんだ、そういうことはどうだって。
とにかく、俺は自分に絶望した。
それで毎日、俺は、公園で飲んだくれるようになったんだ。
いや、飲んだくれる方が先だったかな?
それとも絶望が先か…、これもどうだっていいさ。
ああ、神さま。
あんたが本当にいるなら教えてほしい。
どうしてこんな俺を、この世界に残しておくのでしょうか?
こんな俺に、生きている意味なんてあるのでしょうか?
どうせ答えは返ってこないけれど、まあいい。
明日は、あんたの誕生日、クリスマスイブ。
だけど、自分を痛めつけているばかりの俺に、
明日が来るかどうかわかりゃしない。
だったらせめて祝おう、
俺と神さま、俺とあんただけの
一日前のメリークリスマスを。
★ 一日前のメリークリスマス ★
1
あれはクリスマスイヴの前の晩
俺は夜の公園で一人
安酒をしたたか飲んで
良い機嫌で
夜の街へ繰り出したんだ
だけど文無しの俺など
誰も見向きもしない
通りにたむろする
キャッチでさえも
みんな無視しやがるんだ
オーオー、メリークリスマス
一日前だけど
メリークリスマス
世界で一番早い
メリークリスマス
俺ひとりぼっちのメリークリスマス
2
俺は酒瓶を掲げて
叫んだメリークリスマス
おっさんイブは明日だよ
くたばっちまいなと
キャッチが笑う
そこで俺は酒瓶でそいつの
頭を軽く撫でてやったのさ
ところが何発も殴り返され
気がついたらゴミ捨て場に
転がってたんだ
オーオー、メリークリスマス
ひとりで祝おう
メリークリスマス
明日はあるかわからないから
生きていればこそメリークリスマス
3
ピンクのドレスを着た娘が
俺をのぞきこんでいたんだ
ひどいことするのねと
きれいな涙を
俺にこぼしやがる
だから俺は言ってやったのさ
お嬢さん生ゴミなんかに
かまうんじゃないよ
あんたのそのやさしさは
いつか生命とりになるよ
オーオー、メリークリスマス
あの子に幸あれ
メリークリスマス
明日はあるのかなメリークリスマス
生きていればこそメリークリスマス
オーオー、メリークリスマス
一日前だけど
オー、メリークリスマス
世界で一番早い
メリークリスマス
俺とあの子だけのメリークリスマス