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英語を話す自分と日本語を話す自分は別人格なのか

ここ数日、最近話題の"将軍"を夜な夜なうちのフランス人と見ていました。

最初は興味ないと思ってたけど、見だしたらはまっちゃいますね。
うちのフランス人も気に入って見ていました。

そして見終わった頃にふと、彼が聞いてきた。
「あんずも日本語話す時はこんな感じ(まりこ様とか藤様とか)なの?」

いやこれは武士の時代のお話だからね、ちょっと違うかなあ。
と説明すると、

「そうだよね、あんずのこんなおしとやかな姿なんて想像もつかないや」
と笑う彼。

いやいや、でも私日本語話すときはswear wordのような下品な言葉は一切使わないし。日本にいる時はいつも謙虚な言動を心がけてたわよ。

そう真顔で言うと、はははーと笑い飛ばしやがった。びっち。

そんな会話もあって、どこかで読んだ記事を思い出した。
言語学者の研究の記事で、"バイリンガルの多くが多重人格である"というもの。

もしこれが本当であれば、話す言語を増やすことで違う性格の自分を得ることができるわけだ。

私の場合、日本語を話す時は "謙虚で実直" というイメージが念頭にある。
そういう環境で育ってきたし、周りを立てることが美しいという謎の美学が刷り込まれている。

他人に意見することは滅多にないし、丁重に言葉を選んで話す。

ただこれは日本人同士での会話であり、日本の風習によるものなのかもしれない。

対して英語を話す時は、丁重に言葉を選びつつも自分の意見を伝えること、そしてフレンドリーでいることを何より大事にしている。

というのも、アメリカに住んでいた時に現地の友人や知り合いがよく、
「あそこの店員はフレンドリーじゃないから好きじゃない」とか、
「悪い人ではないんだけど、フレンドリーじゃないから仲良くなれない」
みたいなことをよく聞いて、渡米したばかりの私は"フレンドリーでいることが正解"と思い込み、うわべだけの世間話の英語が得意になったのです。

フランスでは、へらへらとしたフレンドリーさは人付き合い上あまり上手くいかない印象。

彼との間では、時には感情に任せて下品な言葉を口走ることもありますが、それはそれで自分の感情を見せるという意味でコミュニケーション上必要だったりする。

そして同様に愛情表現も豊かになる。
私は普段からフランス人彼氏に対し、彼がどんなに素敵な人であるか、どれだけ彼を愛しているか、彼との生活がどんなに幸せか、目いっぱい言葉にして伝えています。

"愛してる"なんて言葉使ったことなかったのに、日本語でコミュニケーションする恋愛とは大違いである。

言語の違いが思考にこんなにも大きな影響を与えるのだから、
I love you を『月が綺麗ですね』と表現する日本人の心は、フランス人彼にはきっと理解できないんだろうなあ、と思う。

それでも、もっと私のことを理解してほしいという気持ちもあり(なんて横着な)、最近は彼に日本語を勉強するよう押し付けている。

本人は全然やる気なかったのだけど、そうかと思えばアプリのDuolingoで覚えた言葉やフレーズを不意に言ってくるので面白い。

「えーすごい!!そんな言葉も知ってるの?!」
と驚いて見せれば、子どものように得意げな笑顔を見せてくれる。かわいいやつめ。

そんなフランス人、面白いことに、日本語を話す時はなんとなく日本人っぽさがでているのです。

軽くお辞儀して言う「すみません」や「いただきます」とか。フランス語を話す時のような傲慢さは皆無です。
彼曰く、日本語を話すと、自然と"日本人っぽい振る舞いになる"らしい。

果たして私がフランス語を話す時はどんな人格になるのか。

「あんずはシャイだもん。フランス語話す時も日本人だよ。」
と彼には言われました。

なるほど。フランス語への道は遠いなあ。


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