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「あなたはどう思う?」って聞いてあげられる人になりたい

内定式を目前に、なんか気分が晴れない今日。最近はよく言えば平凡な、悪く言えば退屈な日々を過ごしていて、1日が長い。どうにかこうにか、そういう日々を変えたくて、今日は自分のことを振り返ってみようと思う。


振り返ればずっと、世の中と噛み合ってこなかった人生だったー

小学生のときは、狭い狭い少人数学校の中で上級生にいじめられ、中学生のときはいわゆる一軍女子に目をつけられて孤立して、高校生のときはクラスに馴染めずトイレでお弁当を食べる日もあった。

別に極端に壮絶だった訳ではない、でも振り返っても戻りたいとは到底思えない学生時代。

でも、こんな人生でも、「可哀想にはみられたくない」というプライドだけは一丁前にあった当時の私は、必死に勉強して高校2年生のときに特別進学クラスに選抜された。

選抜クラスの子たちは、ほとんどが1年からの持ち上がりなので、ここでも上手く馴染むことはできなかったけれど、これまでのクラスメイトより頭が良くて大人だった。

「頭がいい人たちは、性格もいいんだな」

と新年度初日に思ったのを今でも覚えている。

だから、そこからはクラスについていくという意味でも、自分を武装するという意味でも必死に勉強した。今思えば、私は何に負けたくなかったのか、どうして頭の良さが性格に相関すると思ったのか分からない。

でも、他人を信じることができなかった当時の私は、世間に分かりやすく評価される成績でしか、自分のことも他人のことも計れなかったんだと思う。

初めての友達と後悔ー

そんなこんなで大学に入学して(コロナ禍だったけど)、これまでの自分のことを誰も知らない環境で過ごせることに安心した。

だから、陰気臭かった過去も、性根が歪んでる人間なことも知られたくなくて、振る舞いには細心の注意を払った。

その結果かどうかは分からないけど、初めてグループLINEに入れてもらえたり、先輩と飲みに行ったり、初めて恋人ができたりした。あと仲良しグループで誕生日会してもらえたのもすごく嬉しかったな。

とにかく、入学当初はこれが大学生!!!って感じの生活を送ることができて、すごくすごく幸せだった。(今振り返ってもあの頃が一番青春してた)

でも、怪我をしてイベントや練習に参加できなかったことをきっかけに、距離ができてしまって、1年生の終わり頃からサークルを離れてしまった。(他にも色々あるけど)そうすると、必然的にサークルの友達に会うのもなんだか気まずくなって、結果的に静かにグループラインを抜けてしまった。

あの頃の自分は、どうやって元の場所に戻るかが分からなくて、距離ができたことを裏切りだと勘違いして、私のことを大切にしてくれた人たちを大切にできなかった。本当に未熟だったと思う。

新しい出会いー

そうして、少しずつ関わる人たちが変わっていくなかで、私はいわゆる「意識高い系」の人たちにたまたま出会った。

ここにいた人たちはみんな、「自分で起業したい!」とか、「何かやってやりてぇ!」みたいな人たちがほとんどで、多々言動に尖りはあるものの何かに秀でていた。

そして、夜な夜な溜まり場に集まっては、あらゆる社会のノイズに対して議論したり、思考をぶつけ合ったり、みんなで勉強会をしたりした。

そこで初めて、本当に優秀なのは、成績がいいとか学力があるとかではなくて、自分で考えて行動できる人なのだと思った。

そんなこんなで私もあれよあれよという間に、その空気感に染まりフリーランスとして開業までしてしまった。中高時代の自分からすると考えられない言動だ。(親にもめちゃくちゃびっくりされた)

でも、この経験をきっかけに色んな人と出会うようになり、イベントのスタッフをしたり、仕事を任せてもらえたりするようになった。ここまでなんだかんだ生きられているのは、この原点があったからだと思う。

(多分見てないと思うので書くけど、八雲のみんな本当にありがとう笑)

忘れられない出来事ー

内容が前後するけど、私が今回このタイトルでnoteを書いたのは、新しいコミュニティで過ごす中で、一つ忘れられない出来事があるからだ。

おそらく私がそのコミュニティに入って1年くらいたった頃、その日は自分たちの事業について話し合っていた。そのときは確かプロダクトを作ろうとしていて、みんな右も左も分からないまま、ああでもないこうでもないと議論していた。

議論の中心は、コミュニティの代表とそのコアメンバーで、私は飛び交う専門用語をググりながら何とか齧り付いている状態だった。

でも、ふと代表が、「もなんはどう思う?」と私に尋ねた。

私が議論についていけてないのは目に見えて分かっていたし、私の発言が何か議論を進展させる訳ではないのもみんな分かっていたと思う。

でも、代表は聞いてくれた。そして案の定釈然としない私の発言に対して、「ありがとう」と言ってくれた。

初めて自分の考えを求められて、受け入れてもらえた瞬間だった。

「あなたはどう思う?」と聞いてあげられる人になりたいー

私は大学生になるまで、自分の意見をちゃんと求められたことがなかった、というか考えたことがなかった。

世の中に馴染めなくて、でも誰かに(きっと自分自身にも)認めてほしくて学力を求めた中高時代では、あらゆるものに対して模範解答と世の中の固定概念を叩き込んだ。サークルに入っていた頃は、友達に嫌われたくなくて、とにかくいい人でいることを意識していた。

だから、自分の意見とか思考とかはどうでもよくて、むしろ露呈しないように隠していた。

でも、前述した出来事を発端に、「あなたはどう思うのか」を問われる場面が本当に多くなって、そしてそう問うてくれる人たちは、私がどんな意見を言っても、まずは受け入れてくれた。

そして私は、それがすっっっっっっっっごく嬉しかった。

自分の考えや生き方が、世の中にとっては不正解(マイノリティ)でも「それはそれでいいんじゃない」と肯定してくれる人たちがいること。そしてお互いの思考を尊重した上で、潰し合いじゃない議論ができること。

これがいかに尊いものであるかをここ数年、身を以て感じている。

だから、今度は自分が「あなたはどう思う?」と聞いてあげられる人になりたい。自分がしてきてもらったように、私も受容と肯定を他の人に渡していきたい。そしたらきっと、世の中もっと良くなる気がしている。(規模でかい)

そして、まだまだ道半ばも道半ばだけど、いつかはそんな感覚を世の中に波及できるような大人になりたい。

そのために今は、自分ができることを腐らずに精一杯しようと思う。


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