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繰り返し思い出す出来事と感情について


すっかり忘れているのに、ふとした時に思い出す出来事。

私が小学二年生の頃のこと。
学校から帰宅する途中に年子の妹が尿意を催し、二人で走って家を目指した。
自宅はもうすぐそこ、けれど横断歩道は赤信号。

私と妹は何か話したのか話さなかったのか。
いつもだったら渡る横断歩道を渡らずに、そのほんの少し先の、横断歩道がない道路を妹は渡った。

途端に妹が道路のこちら側に跳ね返ってきた。
ゆるいカーブの道路だった。
車が走ってきて、妹をはねたのだ。

運転手さんがおりてきて、何か言葉を交わしたのかどうか、覚えていない。
私は猛ダッシュで走り家に帰り、母に妹が事故にあった事を伝えた。
水曜日。
仕事が休みで、母が家にいる日だった、たまたま水曜の出来事だった。

「すごい音がして、そんな気がした」のだと母が言っていたのを覚えている。

母は飛び出していった。

私はその後どうしたのか。
妹が救急車に乗せられ、救急車が走り去っていく姿がおぼろげにあるので、母の後を追って事故現場に向かったのかもしれない。

妹は入院した。
2〜3日の入院だったと思う。

幸いに怪我はなく、内臓の損傷もなし。
ランドセルがかばってくれたのだろうと医師が話していたそうだ。

私が病院に行ったのは1回か2回。

病室を訪ねると、笑顔でプリンだったかコーヒーゼリーだったかを手にした嬉しそうな妹の顔があった。

あの頃は、今もなのか、患児には家族が病室に付き添い、寝泊まりしていた。

私の朝ごはんは父が用意してくれた。
食べきれない量で、食べきれないと父に言えず、見つからないように窓の外から家の裏に捨てた。
ホワイトアスパラガスとレタス、卵の色が鮮明に頭に残っている。

病室の記憶はもう一つ、妹をはねた人が土下座して謝っている姿。
そして「あの人が悪いわけではないのに、運転手は気の毒だ」という大人の言葉。

妹が退院してから警察署に呼ばれた。
調書を取るためだった。

私は信号を渡らなかった事を後悔した。
信号を渡っていれば事故に合わなかったと言う事ではなく、信号を渡らなかった事を知られたら警察に捕まると思ったのだ。

すごくドキドキしていた。
警察に捕まったらどうしようと、とても怖かった。

妹から、指紋をとられたと聞いた。

私から指紋をとるということは無かった。
助かったのだと思った。

あの出来事の映像を断片的に覚えている。

大きな桜並木のあるカーブの道。
赤信号に横断歩道。
裏口のドア。
妹の嬉しそうな顔。
妹をはねた人が土下座している姿。
食べきれない朝ごはん。

私は怖かった。
妹が私の足元に跳ね返ってきて、怖かった。
怖かった。
あの時感じきれなかった「怖い」という感情を、今、しっかりと感じた。

母は妹の元に走った。
親として当然の行為だけれど、怖い思いをしている私は放って置かれたことになり、寂しさや悲しみが残った。

「怖い」の後に、私自身に長いこと忘れられたいた「寂しさ」や「悲しみ」といった感情も、しっかりと感じた。

感情を感じ切らないと、感じきれていない感情を感じようと、様々な出来事が手を替え品を替えやってくるから、気がついたら感じきることにしている。

これだけのエピソードの中に、まだまだ感じきれていない感情が隠されている。
丁寧に感じていこうと思う。

感じきると、思い出すことも少なくなっていく。

心に何かが残っているから思い出す。
残された感情を感じきって、幸せになって欲しいから^_^



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