私が悪いって、本当?
何かにつけて「あんたが悪い」と言われてきた。
この夏の帰省でも、「それはあんたが悪い」と言われた。
怒られるないように怒られないように、母親の顔を見て行動してきた。
そうか?
本当に私が悪いのか?
嫌な思いをするのが分かっている所には近づかない方がいい。
二泊する予定だったけれど、一泊でおさらば。
「そんなのスルーしとけばいいじゃん。」と息子に言われたけれど、
小さな頃から繰り返し言われている「あんたが悪い」は、スルー出来ない程に私の中に巣食っている。
何かあると自分責めに陥ってしまう。
そんな経験のない人にとっては、
「そこまで意識する事ないでしょ、気にしすぎ。」の一言で終わる。
胸の中を移植ゴテで穴を掘られている感じ。
心が苦しい、息が止まる。
真っ暗な中を、見えないのに穴を掘られている感じ。
分かるかな?
言い返す?
その時はフリーズして言い返すことも出来ません。
後から悔しいとか悲しいなどの感情に気が付くのです。
でも、本当に私が悪いの?
子どもが服を汚すのも、裸足で三和土に降りるのも、シャツをズボンから出すのも、私が悪いの?
「みんなあんたが悪い」
私は出来ていない。
私は駄目な人間。
自己否定、自分責め、自己肯定感なんて持てるわけがなかった。
それが、今の私の現実を作っている。
無意識に人と違った事をしたり、人に凄いねと思われる事を選んで行っていた。
色んなことに手を出しては、これは違うとまた別のことに手を出してみる。
私自身が何を欲しているのかなんて、もう分からない。
私を見て欲しい、私を認めてほしい。
自分で自分を認めることができないから、誰かに認めてほしい。
本当に私が悪いの?
違うよ。
私は悪くなんてないし、そもそも良い悪いもない。
偶然、尾崎豊の「卒業」が流れた。
《この支配からの、卒業 ♪》
ハッとした。
私は母親の支配から卒業して良いんだ!
支配されているのではなく、自分で支配されるような状況を作っていたのですけどね。
内側は外側だから。
これからは母親に怒られないように生きるのではなく、私は私を生きれば良い。
半世紀近く自分を生きていなかったので、もはや私は私が分からない。
中途半端と言われようがいいかげんな人だと言われようが、やっている事を一旦リセットしたっていい。
私をちゃんと感じて生きようと思う。
自分を取り戻すのに時間がかかるかもしれないし、
あっという間に、生き生きと私らしく暮らしているかもしれない。
私は何を大切に生きていきたいのか、改めて感じ、考え、行動していこうと思う。
すっごくすっごく頑張ってきた。
よくここまで生きてきた。
えらいえらい。
頑張った頑張った。
いい子いい子。
頑張ったご褒美は美味しいもの(´∀`)