【福祉書籍①】“障がい者福祉の父”著『この子らを世の光に』(糸賀一雄著)を読んで
「障害者福祉の父」と呼ばれる、糸賀一雄先生の著書、『この子らを世の光に』を読んだ。
大変大きな衝撃を受けました。
障害福祉事業に携わる人(特に事業の中心となる人)には、是非ご一読をお勧めしたい。
糸賀一雄さんは、知的障害のある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げた人であり、戦後日本の【障害者福祉】を切り開いた第一人者であり、「社会福祉の父」と呼ばれる人です。
その糸賀一雄さん自身が、戦後間も無く自身で創立した「近江学園」の、設立・運営の苦難、ご本人の感じてきた悩みや葛藤などを詳細に綴っていると同時に、
◾️福祉はかくあるべきか
◾️障がい者の幸福や未来をどう考えるか
などについて、
研究者でも哲学者でもない、実践者であるからこそ行き当たったであろう、非常に深く、多様な考察が書かれており、
同じ実践者である私には、
・自分が言葉にはできないが潜在的に疑問や違和感を感じていたことについて、
・まさにそれを言語化してくれているだけでなく、
・その核心のど真ん中を深く考察してくれており、
・しかもそれが芯を食い過ぎているが故に、強烈な納得感と学びを与えてくれる
そんな一冊でした。
ここまで深く考え、未来を見据え、実践をしていたのか、、と、己との視座の差に驚嘆し、愕然としました。
読後の気持ちを忘れぬために、勢いに任せて感想を綴りたいと思います。
★事業者として
①社会課題解決への本気度
まだ制度が確立していない時代に、「世の中のために必要である」という情熱と理念から、自身の生活を顧みず、事業創出に乗り出す姿には、「同じ時代を生きていたら、ここまでかなぐり捨てて、自分は起業できる程の覚悟は持てなかっただろう」と強烈に思わされた。社会起業家としてのあるべき姿を見た。
今は、糸賀一雄さんをはじめ先人の築いてくれた礎があるからこそ、一定の収益性が確保できる事業環境がある。だからこそ、多くの事業者が施設運営に従事できているのだ。当時は、全くそうではない中、かつ、模範とすべきものがない中での運営である。
同時に、自分は先人たちの恩恵の中だけに留まり、=今ある制度の枠組みの中だけで、事業運営をしているのではなかろうか。
いま現在、認識されたばかりの社会課題に、まだ国の制度や報酬体系はない。
それでも、明確な社会課題があるのならば、誰かがやるべきなのである。
・制度がないから仕方ない
・制度がないのが悪い
と、社会課題の解決に着手しないことを、制度のせいにして、文句を言うだけになってはいまいか。
先人の礎がある現在ならば、そこに挑戦することに、糸賀一雄さんの時代ほどの過酷さはないはずだ。
そこに取り組もうという視座が欠如していては、社会福祉事業家とは呼べないだろう。
②国の仕組みを変える気概があるか
それと同時に、制度を変えにいく、新たに作りにいく、ということまでを見据えられているか?
仮に制度なき領域の社会課題の解決に着手したのであれば、そこに制度を新たに作ることまでを見据えてこそ、追従する事業者を作ることができ、自己満足の領域を抜け出せるはずだ。
そこまで見据えてこそ、その社会課題の解決に本気であると言えるだろう。
③当社の支援者達は「理念」で結ばれる共同体になれているか?
何を目指すのか?
どんな社会課題を解決しようとしているのか?
それはなぜなのか?
本気なのか?
これら、理念と情熱を、自分は組織に伝えられているだろうか?日々支援に従事してくれるスタッフの、理念への強烈な共感無くして、真に有用な支援には行きつかない。
当時の、一枚岩となった近江学園が持っていた熱量に匹敵するだけの熱を、私たちの組織は持てているのだろうか。
その熱がないのは、発信源たる私が、その理念を言葉にし、伝えられていないからではなかろうか。
④「この子らを世の光に。」
まだ自分は、この言葉の表面的な理解だけに、留まってしまっているのではないだろうか?
真の意味を理解できるだけの実践と経験、考察が足りていないのではなかろうか?
もっともっと日々の実践で考え、考察し、この言葉を100%自分の言葉として、発せられるような事業者になりたい。
今はまだ、その自信があるとは言えない。
そのためには、思考を止めている場合ではない。もっともっと日々対峙するご利用者の未来について、根本的に、視座を高く、視野を広く、考えねばならない。
そして、地域の中での相対的な立ち位置に、自己満足している場合ではない。まだまだ解決されていない社会課題はたくさんある。
などなど、感じたことを挙げれば、これ以外にも枚挙にいとまがない。まだ言葉にできていないこともたくさんある。。
とてつもない大きな差に愕然としてしまうが、悲観的になっている場合ではない!
本書で得られたことを大きな学びとし、事業運営に邁進していきたい。