見出し画像

【障がい者福祉の父】糸賀一雄著さんの書籍と、岸田奈美さんのnoteから思ったこと

「障害者福祉の父」と呼ばれる、糸賀一雄先生の著書、『この子らを世の光に』を読見みました。

大変大きな衝撃を受けました。

糸賀一雄さんは、知的障害のある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げた人であり、戦後日本の【障害者福祉】を切り開いた第一人者であり、「社会福祉の父」と呼ばれる人です。

その糸賀一雄さん自身が、戦後間も無く自身で創立した「近江学園」の、設立・運営の苦難、ご本人の感じてきた悩みや葛藤などを詳細に綴っていると同時に、

◾️障害者福祉はかくあるべきか
◾️障がい者の幸福や未来をどう考えるか

について、研究者でも哲学者でもない、実践者であるからこそ行き当たったであろう、非常に深く、多様な考察が書かれており、時代背景は今と違うものの、そこから大変大きな学びを得られる書籍です。

特に、「重度の知的障害や身体障害」のある人向けの支援においては、糸賀さんが居なかったら、今現在の日本の制度はどうなっていたのだろうか、、と思わされる程、糸賀さんの働きが大きいと思います。

戦後間も無い当時、重度の知的障害児者は「生ける屍」と呼ばれ、その人達が自分らしく人生を生きていくことが難しかった時代に、その人達の生きる意味や福祉のあり方を誰よりも考え・探究し続け、自ら経営する施設で実践をし続け、現在の障がい者福祉の様々な制度や体系の源流とも言えるものを作りあげたのが、糸賀一雄さんです。

その糸賀さんが「障害児たちこそ、我々が目指すべき社会の在り方を照らしてくれる道標となる存在である」という主旨で、書籍の名前にもなっている「この子らを世の光に」という言葉を残しています。
この「この子らを世の光に」という言葉に出会ってから、この言葉の本当に意味することは何かを、私なりにずっと考えてきました。

◾️グループホームで抱えていた悩み(地域との繋がり)

私は、重度の知的障害のある人向けのグループホームを、複数の地域で運営しているのですが、近隣の住民の皆さんがとても温かく優しい地域もあれば、逆に、悲しいかな、とても差別的で冷たく接される地域もあります。

その冷たい対応がエスカレートし、理不尽な要求やクレーム(と感じられるレベル)となってぶつけてこられたことも、過去に幾度かありました。器量の狭い私は、「何の迷惑もかけてないのに、なんでそんなことを言ってくるんだ!」と、反発・対決するかのような対応をしてきてしまうことも、正直しばしばありました。

そのような地域では、近隣住民と良い関係が築けぬまま、冷戦状態のような均衡を保ってしまい、「近隣住民とこんな関係性では、ご利用者の皆さんは、地域で安心して暮らしていると言えないのではないか、、」と悩んできたこともしばしばあります。

◾️なぜ、お向かいさんは、差別的な行動に出てしまったのか?を考える

近隣の住民から大反対をされたり、(そんなに迷惑をかけていないのに)理不尽なクレームが毎日来るといった話は、我々のみならず、様々な地域で、それなりによく耳にします。「とても珍しい」という話でもないのが、悲しいかな現実です。

では、差別的な行動にエスカレートしてしまう近隣の住民は、なぜ、そうなってしまうのか?について、岸田奈美さんのあるnoteを読んで、私の中で大変しっくり来たものがあります。

あなたをいじめた人はたぶん、
自分と違うものを受け入れる勇気がなかったり、自分と行動や思考のスピードが違う人と一緒になにかをする工夫が思いつかなかったり、
イライラを他人にぶつけることでしか解消できなかったり、そういう自分の至らなさを、あなたのせいにしているだけなんです。
障害という、雑なラベルを貼りつけて。わたしの元彼氏のように。健常者も障害者も、人間やねんから、ええやつもあかん人もおるのに。

岸田奈美さんnote『「死ね」と言ったあなたへ』より

近隣住民も、自分と違うものを理解しようという勇気が持てず、「違う=怖い」から、それを排除・攻撃しようとしてしまっていたのだろう、と感じました。
「そんなの当たり前じゃん!」と思われるかもなのですが、私は、「差別なんて、どんな理由があろうとダメだ!」と「正義」と思い込んだ旗を掲げていたため、そこを見て見ぬようにしていたものかもしれず、そこに考えを巡らせていませんでした。

そして同時に、そのことに見てみぬフリをし、その住民1人を責めたところで、根本的な問題は何も解決しないだろうとも感じました。
もしもその人が「助け合うことが当たり前」という、成熟した社会で生きてきたならば、そのような差別的な思考にならなかったのでは?と。
それならば、社会の考え方自体を変えるようなアプローチを模索する方が、よっぽど建設的だろう、とも。

「自分さえ良ければ良い」という社会よりも、「困っている人に皆が手を差し伸べられる」人が多い社会の方が、人として成熟しているし、そんな社会にできたら、とても素敵だなと、改めて感じました。


◾️改めて「世のひかりに」とは

上記のような、「より成熟した社会にしていこう!」という考えのきっかけとなり、皆に「気付き」を与え「ひかり」となってくれるのが、「障がい者」であるというのが、糸賀さんの考えです。

糸賀さんが生きてきた時代に比べ、現在は、まだ差別は根深く存在するものの、「障害」は当事者にあるのではなく、それに対応できない社会の方にこそある、という考え方が少しずつ広がってきています。(社会モデルと呼ばれる)

社会というと大それてて他人事に聞こえるかもしれないが、障害は「困っている人に手を差し伸べることができない自分の心の中」にあるとも言えると思います。

そして、再び、岸田奈美さんのnoteより。

あなたみたいな人が、少しずつ人と人との分断を溶かし、社会を良い方向へと成熟させていくのだとわたしは信じています。

岸田奈美さんnote『「死ね」と言ったあなたへ』より

岸田奈美さんが、まさに、糸賀一雄さんの「この子らを世の光に」と同じ主旨のことを言っているように感じ、大きな気付きを与えてくれ、大変感銘を受けました。

◾️我々のような障害福祉事業者の役割

障がいのある人と事業を通じて関わることで、たくさんのことを気付かせてもらった私たちは、「皆、こんなにすごいんだぞ!」ということを知ってもらうべく、社会との接点を作り続けていくことが、使命なのだと感じています。

「多様性を理解し、手を取り合える社会」は、本気で目指さなければ勝手に訪れるものではないし、具体的な行動に移していかないと訪れるわけは無いから、我々が本気で目指し、より多くの接点を作っていく必要があります。

その接点も、「福祉感」を出しては大きな波を生むことは到底できないし、一人一人が持つ可能性を本気で模索・発見し、突き抜けなければ、社会の在り方は変わっていきません。
久遠チョコレート、ヘラルボニーなど、まさにそれを体現している事業者は存在するし、岸田奈美さんのような発信者もいます。

一人一人の可能性をとことん模索し、それを発信し、本当の意味での【多様性】を多くの人が認められる社会を目指して、2025年は具体的な行動を起こし、社会を良い方向へと成熟させていく一助になれたらと思います。

※私が読んだ岸田奈美さんのnoteはコチラ
https://note.kishidanami.com/n/ne6348c74808c

いいなと思ったら応援しよう!