潮目が変わる時。
仕事の帰り道、夏のむせ返るような熱気と、北から吹いてくる冷気の交じり合う道の上で、
「ああ、私は今、潮目が変わる地点にいる。」
とハッとした。
その瞬間、目の前の景色がゆらゆらして、自分が海の底にいるような感覚だった。
もしかしたら今が、その決断する瞬間なのかもしれない、と思った。
故郷を離れて、違う土地で、私自身の暮らしをつくっていくと、漠然と思っていた。
そして、日本のサイズが私にはとても狭くて窮屈だということも。
「外に出る。」
どうなるかわからない。やっていけるかもわからん。
でも、今日、今のタイミングは、その決断は、
きっと、間違っていない。
私は、日本の外にもっと広く出ていく人だ。
というか、それをしないと窒息するような生き物だ、ということを
長い日本生活の中で、馴染ませ、浸透させ、忘れかけていた。
コロナの世界になってしまって、今すぐそれが実行できる状況ではない。
でも、コロナが収束したら、もう私は動かねば。
何が待っているか到底わからないが、
飛び込んでいく、ということは、今日、決心した。
以前から、遡れば中学生、高校生(いや、ひょっとしたら小学生の時から。)私は日本に収まるようなヤツではなかったのだった。
それを、この10年以上の年月の中で、世の中のあれこれや、建前だの言い訳だので、その感覚が、その鋭さが少しサビついてきてしまっていたのかもしれない。
歩きながら、車の音、頬に当たる風、鈴虫の声、
すべての音と感覚が全身をものすごいエネルギーで駆けていくような、
血が全身に通っていくような感覚が
身体の感覚がめいっぱい開かれているような
久しぶりにそんな感覚になった。
なぜか、生まれ変わった気がする。
何か特別なきっかけではなく、
たぶんこのコロナの半年、いやそれ以上
長い年月をかけて、考え、向き合い、迷い、重ねてきたものが
今一気に一陣のつむじ風にものすごい力で吹き飛ばされ、
机の上にあった何百枚もの白い紙が空に舞い上がって、散り散りに飛んでいくような。
なんて爽快なんだろう。
まだまだこの道はどこへ続いているのかわからない。
でも、まだまだ、これから、ここから、
挑戦しなければいけないことがこの先にあるんだ、と思うだけで
ワクワクした。
「情熱は守ってくれますよ、その人を。つらいことから。どんな悲しみも寄せつけないくらいの、ものすごい防御力で。」
ヤマザキマリさんの「国境のない生き方」というエッセイの一節。
たくさん、勇気をもらいました。
最近忘れてた。すっかり。
日本というサイズで考えるんじゃなく、地球サイズで物事を考えること。
人間なんてちっこいサイズで考えるんじゃなく、地球に生きている「生き物」という尺度で生きてみること。
この星に生まれたからには、燃え尽くすまで、命を燃やし、生きなければ。
傷ついても、恥かいても、失敗してもいいから、
めいっぱい身体全部使って、生きなければ。