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緊急搬送されてから

仕事をやっと終え帰宅してからのことは、実はかなり朦朧としていたようで記憶が曖昧なのですが・・・
動けなくなってしまう前に妹にLINEで相談していました。
その時のやりとりです。(方言丸出しです)

このやりとりの間に自分で血圧を測っていたようです。
その証拠がこちら。


文字の様子から必死さと不安さが伝わってきますね。
これ書いた記憶もうっすらで、後日見たときに「そういえば書いたような・・・」という感じでした。

緊急搬送された時間も20時すぎており、妹は子供たちがいて病院へ駆けつけることができなかったため、LINEのやりとりの通り父を送り込んできました。
父がいたことは思い出せるのですが、実はどういう経緯で父が来たのか、私が救急車で病院へ運ばれたことをなぜ知っているのかもよく覚えておらず・・・
私の中では「いつの間にか父がいた」ことになってました。

何かしら処置や検査はされていたのですが、それもほぼ記憶に無し。
担当してくださったのは内科医で、採血、レントゲン、CT(多分した)。
レントゲン室前で待っている時に父がそばにいたのは覚えています。

途中お手洗いに行きたいと言い自力で行ったとのこと。
排泄後トイレで転がっていたらしいです😂
トイレの後点滴もされていたようです。

最初に診てくださった先生ともう一人医師がいて、二人でうーん🤔と悩んでた様子は記憶にあります。
その後「もしかしたらギランバレー症候群かなぁと思うんだけど・・・疑いはあるので明日また専門科(神経内科)に受診してもらえますか?」と言われました。

(ギランバレー症候群て名前は聞いたことある🤔)と思いつつそのまま意識が遠のきました。(眠ってしまっただけ・・・)
点滴が終わる時間が0時頃になるため父は一旦帰宅し、点滴が終わった頃に迎えに来ました。

この時の移動手段に渡されたのが松葉杖。
今思うと、あれほど動けなかったのによくそれで車や家の中まで移動できたなと思います。

とりあえず実家へ身を寄せ一晩泊まらせてもらい、翌日再び父と一緒にその病院の神経内科に受診することとなりました。

かなり後になって知ったことなのですが、緊急搬送されたところへ来てくれたのが父だけだと思っていたら実は母も一緒に来ていたとのこと。
あの場での母が居た記憶というか存在はいまだに思い出すことができずにいます。
母はあの時76歳だったのですが、歳とともに色々自信がなくなってきていて、特にイレギュラーなことが起こると何をして良いかわからなくなってしまうような軽い認知症も発現しておりました。
なので推測するに、連れて来られたはいいが何をして良いのか、なんて声をかけて良いのかわからずただただそこにいただけだったのだと思います。

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