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人生の分岐点と厄年と ①

たいそれたタイトルをつけてみたけど、ただの30代前半女が暮らしの中で感じた気持ちをつらつらと綴っただけのものである。
自分でも内容は期待出来ない。
しかし、なにか素敵なものが書けるかもしれないという謎の自信はある。昔から、根拠のない自信だけは人一倍ある。

noteのアカウントを作成して、気付いたらもう2年以上経っていた。
最後に書いたのは

引越し先なくなったはなし

思い出したくもない過去一落ち込んだ出来事。

しかし、時間は平等に進んでいくもので、いまではまた一人暮らしをはじめて穏やかに過ごしている。自炊をして、家賃、光熱費を払って、様々な家事をこなして日々生きている。
以前と違うのは、仕事を辞めて無職になったことくらいだ。未婚だ。

おや、過去一落ち込んだ出来事よりさらに状況が悪化している。
人生とは不思議なもので、これ以上辛い出来事はないだろうなと思いながら目の前の辛さを乗り越えているのだが、平気でその辛い出来事を塗り替えるようなことがやってくる。しかも予期せず突然である。
いまでこそ文章を綴ってみようという前向きな気持ちになっているが、休職から退職を決めるまでの期間は「心身ともに不安定」という言葉がぴったりであった。


はじめて休職制度を使ったし、はじめて心療内科に通うことになった。以前の私からは本当に想像ができなかった。もともと楽観的で、人と話せば大抵の悩みは解決していた。また、職業柄心療内科に通院中の人や既往歴がある人と関わる機会も多く、真面目な人や環境による影響が大きいと思っていたため、自分とは正直無縁だと感じていた。

しかし、徐々に普段出来ていたことや気にもしていなかった事が出来なくなった。朝ベッドから起きられない、保清活動(お風呂、歯磨きとか)が著しく疎かになる、夜寝つきが悪い、中途覚醒してしまう。こんな日々を繰り返しているうちに、職場に行くことが困難になった。

休職に入る前、風邪をこじらせて体調を崩し欠勤している期間があり、半年くらいはなんだか調子が悪いなぁという時間が多かった。しかし、友達と会ったり遊んだりする余裕はあった。なんなら仕事をもっと頑張りたいと考えて関連する本を買い漁ったりしていたくらいだ。

心と身体の(とくに心の)安全に活動できるラインを越えてしまったのだと思った。


詳しくは割愛するが、この時期は仕事に対する思いと将来の事をよく考えていた。同時に携帯のパズルゲームと脱出ゲームに恐ろしいほどハマっていた。平気で半日以上同じゲームを毎日し続けていた。
漠然とした様々な悩みを、解決するための行動もせずただただ悶々と考え続けていた。そのため思考はまとまらず常に散らかっており、いつも第三者の声がしていて、常に誰かと会話をしているような脳内だった。
(今まで気が付かなかったが、改めて文章にしたら思い出した。)



ちょっとまて こんなに長くなるとは思わなかった。読みづらい。ちょうど疲れてきたので続編とする。
回復までの経過とこれから先のことについてはまた次回。。


おまけ
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

「~である」「~なのだ」口調で書き綴っていると
なんだか文章作成が上手くなった気分に浸れるので大変気に入っている。
雰囲気に頼らず、もっとたくさんの言葉を吸収して、読みやすい文章を目指していきたい。
これから先のことを考えつつ色々と行動していきながら、思考の整理のために時間があるときはnoteを書く時間を増やしていこうと思う。
まずは質より量を目指して…

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