○○が××しないのが悪い!
いい加減再起動しようと動き始めた最内翔です。
1カ月でメルトダウン期間抜けれそうだから、これでも大分良くはなってきているね。
今日は2022/7/3。一週間後に衆議院選挙を控えて政治系の話題も増えてきた。
俺自身が多少は調べるようになったからというのもあるかもしれないが、去年の衆議院選挙、更にその前の選挙の時より政治への関心が高まっているという事実だけは良い兆候なのだろう。
それはおそらく、円安で生活に支障が出てきて遅ればせながら危機感を覚え始めたからだろうが、まぁ関心が高まること自体は良い事だろう。
ということで今回は政治系の話題について吐き出していこうと思う。
正直今回は否定的で悲観的な、非生産的な意見しか出てこないので、ぶっちゃけ読む価値はほぼ無いと思う。
いつも通り、もやもやするから吐き出すだけだ。
「あほくさ」
政治論争についてはこの一言に尽きる。
政治について議論しても何も変わらないという、無関心層に表面上等しい。ただ、その理由についてはもう一歩踏み込んでいるつもりだ。
政治家の演説に聞く価値が無い
何故政治家は与党の批判ばかりに終始するのか。
何故「べき」論の理想ばかり語って、具体的にどういった政策を打ち出すか説明しないのか。
政治は利権団体や官僚組織とのしがらみと切り離せるものではない。
それを踏まえて現実的な政策を考えず、実行力を持たずのまま政権を握った民主党を見て日本人は自民党以外に票を入れなくなったのだ。
だというのに未だに批判と理想論に終始している。そんなんで野党を信用出来るはずがない。かといって今の政治を肯定出来るわけでも無い。
何故政治家は批判と理想論に終始しているのか。少なくとも街頭演説で具体的な話をしないのか。
答えは分かりきっている。そんなの話しても「票が取れない」からだ。
難しい話良く分からないと国民が考えることを放棄しているからだ。
考える土壌となる現代社会の知識をもたず、政治を考える余力を持たず、政治を語る場を持たないからだ。
政治家のせいというのは国民のせいということだ。それが民主主義というものだ。
厳密に言えば候補者に直接質問したり、党の会合とかに出れば具体的な話も勿論されてはいるのだろう。
ただ少なくともネットでパッと調べただけではせいぜい「方針」とか「政策への賛成不賛成」程度だ。
そこまで調べたからといって政治が自分の思う方向に行くわけではない。コスパ悪いし、余計思い通りにならない鬱憤が溜まるだけなので深入りしたくないのだ。
俺の一票や一言はあまりにも軽い
民主主義において、貧富住所老若男女全てを問わず一人の一票の重さは等しい。厳密には多少違うが、まぁ基本的に同じになるように設定されている。
故に票の軽さを言い訳にするな、とか言う人はまだ浅いと言いたい。民主主義は一票の重さの等しさを前提に、組織票を獲得する政治形態だ。数を纏めることにこそ政治家の真価がある。
つまるところ、政治家は正しく「代議士」なのだ。ある考えを持つ○万人の声を代弁しているという背景と自負が、平民を政治家を名乗る裏付けとなる。
そういう意味で、選挙活動が特定のターゲット層をターゲットにして、その層にだけ聞こえが良く都合の良い事を述べるのは、個人的には幼稚だなとは思うが、正しく民主主義をしているのだろう。
政治なんて、ポジショントーク(その立場だから言える考え)の極みなのである。分かりやすく言うと、金持ちは金持ちに有利で貧乏人に厳しい政策を目指す人に投票して何も悪くは無いのである。そりゃ場合によっては良識を疑われるかもしれないが、だからこそ誰に票を入れたかというのは原則秘密とされているのである。責められるべき事では無い。
さて、だとするなら日本における最も大きな組織票は何か。
「よく分らんけど、野党に政治を任せるのは怖いから現状維持」という自民党への組織票である。
おそらくもはや保守ですらない理由によって、誰にも率いられていなくても入るのが自民党と思っている。(事実関係は知らん。興味もない)
そしてそういった消極的肯定派をガッチリホールドして逃がさない為に、その主な構成員であるご老人たちに有利な政策を維持しようとする。
おじいちゃんおばあちゃんのご機嫌を取りながら、本当に力を持ってまとまった票を動かせる医療団体などの利権団体とガッチリ手を組んで優遇する。
素晴らしい。まさしく政治家を体現していると言えるだろう!
一方十年程度では現世から逃げ切れない世代が危機感を覚えたところで、その票は組織といえるほど纏まるだろうか。
否。信じられる野党がどれか分からないし、考えるからこそ微妙な思想の違いに苛立ち票が分かれる。纏まらなず組織票になり得ないのだ。
民主主義というのは一人の票の重さは同じだ。
だからこそ政治を変えたければ多くの票を、つまり多くの人を説得することによって政治に影響力を行使しろというのが民主主義だ。
だが現時点での俺はそんな誰かを説得できる程の発信力は無いし、敢えて深く考えないようにしているのでしっかりとした議論を出来る見識も無い。もっといえば、そもそも俺の政治思想は割と過激なので賛同者は少ないだろうし、ぶっちゃけ政権を取るべきでもない。
そういう意味で、幾つもの理由で俺の票というのは、大部分の意思が切り捨てられる端数でしかないので、費用対効果が薄いという話だ。
責任を取り戻せ
個人的に何より腹立たしいのは、政治家か否かを問わず、ただただ文句だけ言っている連中だ。
「政治家が利権にへーこらしてるから日本はこうなったんだ!」
そんなことを言って「国民のための政治をしろ!」とか自分の利益を求めるのは軽蔑を通り越して腹が立つ。
誰かを悪者にするのは楽だ。だって誰かに責任があるのだとすれば、自分は悪くないと思えるのだから。
これはうまく使えば自分の精神的な負担を減らして、別のことにリソースを回す手段となるだろう。だが、これはあくまで戦略的なものであるべきだ。自覚的なもので手綱を握れてなければならないものだ。
そして少なくとも民主主義において政治について語るのであれば最悪の悪手だ。
だってそうだろ。自分に責任が無いと宣言するのは、折角取り戻した主権を放棄するに等しいのだから。
投票によって国政への参政権を持つ以上、干渉の手段を持っており、尚且つ日本の政治家はまだちゃんと有権者の顔色を窺ってくれているのだ。
顔色を窺われているのにも関わらず自分たちにとって不利になっているのであれば、それは良い様にあしらわれているという意味なのだ。責任は国民にある。それを自覚することでやっと、責任を取り戻せる。
俺の票が軽いというのは、政治家に対して効果が薄いと言っているわけではない。数の多い有権者に対すると押しつぶされるという意味だ。故に俺は責められるべきは考えず投票する有権者と考えず投票しない有権者だと思う。
文句を言ってる暇があれば、どの主張が「自分にとって有利になるか」を考えるべきだ。別に日本人全体に、なんて大層なことまで考えなくていい。そんな余裕のある人は少ないだろう。
ただ、仕組みを理解して自分にとっての最善を投票するのが必要だという話だ。
俺の投票先
本音を言うと、俺の支持政党は自民党、になるのだと思う。
色々思う所はあるが他に任せられる政党が無いのだから仕方ない。
ただ、自民党は放っておいても与党のままだろう。参議院で野党が過半数になって捩じれられたら困るが、まぁ大丈夫だろう。
なのだとすれば投票によって俺が示すべき意思は、
「29歳男性、野党に投票する」
という点だろう。
野党のどこにいれるかは正直大差ない。幾つか絶対に入れたくない党もあるが、積極的に応援したい党があるわけでもない。
当然だ。どの党も信用に足ると思えないし(背後の利権関係見えないから)、どの党に政権握られても困る(政権運用のノウハウが足りない)。
故に吟味はしない。適当に方針の近い野党に入れることになるだろう。
大事なのは、自分に何が出来るかを考える事
おそらくこの重大局面においても日本は変わることは出来ないだろう。
そして昭和の価値観のまま致命的に没落するまでズルズル行くだろう。
何の根拠もない適当な予想だが、10年はそのまま行くだろう。で、更にその先10年で社会的弱者(老人や障碍者)の負担の重さにブチギレて反動のような政治になるのではないだろうか(その頃には日本は先進国では無いだろうが)。
いずれにせよ、大事なのは自分がどう生きていくかだ。どうすれば生きやすく、生きる目的に近づけるかだ。
政治によって日本という環境を変えられないのであれば、変わらない前提で出来る範囲で自分の周りから変えていく。その範囲を広げていく。
政治というのは重要なものだが、所詮手段の一つだ。機能不全に陥っているのであれば悪態を付きつつも別の方法を取っていかなければならない。
ゆえに思うのだ。「あほくさ」と。
そんなところにリソースを使っている暇があるのなら、自分と自分の周囲を変える方にリソースを使うべきなのだ。
どうせ政治は変わらないのだから、自分の手の届く範囲を変えていくべきなのだ。
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