頑張って働く事が何故義務なのか
長い前置き(スキップ推奨)
昨日、生活保護について問い合わせに行きました。
「仕事を探してください」「働けないなら働けない理由を明確にして、その改善を図ってください」「家族の支援を頑張って受けてください(実家に帰れ)」
そんな感じで危うく門前払いされるところでした。(ごねて申請に必要な要件は聞きだしました)
同日、緊急小口について聞きに行きました。例えコロナ下でのコミュニケーション不足に起因する人間関係の拗れとはいえ、自己都合退職であること。そして収入が安定しないことから貸し付けは無理という結果でした。
国というのは極限まで公平性を求める所なので、仕方ないでしょう。
一つ特例を許したら、他の人にも同じ特例を適用しないといけない。
だから、あらゆる制度に明確な基準があり、条件があり、資格があります。
それは、えぇ、きっと正しい事なのでしょう。
ただそれでは本当に窮している人の助けにはならないということが分かっていないのでしょうね。
或いは、分かっていても事件の解決より世間からの見栄えの方が大事だからそこまで踏み込むつもりはないのでしょう。
まぁ多分後者でしょうね。当事者からの声は上がってる。でもその声は聞こえていても愚民共の声なぞ検討に値しないし、少なくともメディアに叩かれても、それに言い返して必要性を訴えるほど真剣に捉えてはいない。
いつだって政治家の最優先事項は、他国の有力者の指示を如何に国民の機嫌を取りながら遂行するかにあるのですから。
まぁいいのです。国は助けてくれない。だからこそ戦って勝ち取る、奪い取るつもりでかからないと先にこちらのメンタルが折れる事は分かっていましたし。
※「はたらくってなんだろう?」からこの記事を見つけた人へ
筆者である最内翔はひきこもりニートです。
そういった社会からの落伍者の視点からの意見であることを予めご了承ください。
「欠席の理由は?」
この言葉にビクッとした方も少なくないのではないでしょうか。
学校を休む理由、出勤しなかった理由、働けない理由、納期を守れなかった理由、プロフェクトが失敗した理由、ケアレスミスをした理由。
それは勿論聞くべきことですよね、だってそれら「出来なかった理由」を知らなければ改善して、今後に活かすことも出来ないのですから。
聞かれるのはきっと、当然の事なのでしょう。
出来なかった理由を分析出来る事も、社会人に求められる重要な要素です。
「気分がすぐれなくて……」
ただその理由が自身の心にある時、なんて表現したらいいのでしょう?
「気分がすぐれなくて……」「なんか風邪でも引いた?」
「いえ、その、メンタルの問題というか……」「あぁこの前のミスか、気にしなくていいよ」
「そうじゃなくて、精神的に疲れてしまって……」「はぁ? 何言ってんの。皆頑張ってるのに甘えた事言ってるんじゃないよ」
数か月後
「退職します」「なんで?」
「鬱です(診断書提出)」「あぁそう。なら仕方ないね。これまでお疲れ様」
病名がついてやっと、理由になる
俺は精神科に行って病名を貰うのを毛嫌いしています。
だって、医師の診断を受けても本人の心の状況は変わらない。
前後で変わるべきは本来、具体的な対処方法であるべき。
でも多くの場合、出来ない理由のためにその「病名」を貰いに行くことになるから。
それでもまだ昔よりはマシなんでしょうけどね。一昔前は「鬱」ですら出来ない理由にならなかったのだから。
病名がつかない限り、それは「本人の怠慢」
今は何かしら医師の診断が出たら、それは出来ない理由になるようになりました。
ですが未だに多くの人が「明日会社(学校)に行くのが辛い」と呟いています。
それでも皆登校し、出社する。しんどいだけでは休む理由たり得ないから。
「皆」頑張ってるから。「皆」に迷惑をかけるから。「皆」に白い目で見られるから。
それはサボってるだけ怠けてるだけ根性が足りないだけ
「自己都合」
もしそれが理由で退職にでもなったら、退職理由にそう書かれるから。
なんでそこまで頑張って働かないといけないの?
そう問いかけた時、どんな答えが返ってくるのでしょうか?
「世間様」にインタビューしてみましょう。
働かざる者食うべからず
いや、働くこと自体はやぶさかではないけど、なんで無理して働かないといけないのさ。
皆同じように頑張ってる
それ、本当に理由にしていいの? じゃあ今後一切多様性とか口に出すなよ。歯車のように均一に働けってことだよね?
そうは言わないが、責任というものがあるだろう
ごもっとも。じゃあ、日本が自由主義で先進国で自分の責任で選択できる国だっていうなら、もっと気軽に休める仕事をください。
なら正社員を諦めてバイトや派遣で働け
え、バイトや派遣が気軽な仕事だと未だに思ってるんですか? 当たり前ですがドタキャンは許されないし、そもそも仕事内容や責任は正規社員とそこまで変わらないんですが。
文句を言う奴にはその程度しか選択肢が無いんだ
そうですか。そう言われたら返す言葉も無いですね。
大体、すぐに疲れたとか心を病んだとかダラしない。甘えるな
そうはいっても、頑張った所で明るい未来も見えないのに、何を根拠に頑張れと?
頑張ったらその分給料が上がるだろ
https://ideasforgood.jp/issue/youth-poverty/
Read this.
殆どの人が頑張って働いた所で生活が善くならないんですが。
確かにそれは社会問題だからね。そんな中皆頑張ってるんだよ
また皆ですか。じゃあいっそ皆で頑張るのやめましょうよ。
どれだけの日本人が心を擦り切らせながら無理やり頑張ってるか。
そんな事したら日本の社会経済が立ち行かなくなる
もう沢山の人のメンタルが立ち行かなくなってるんですよ。
なんのための経済ですか。国民が豊かな人生を送るためでしょ。
生活の為に心をすり減らして働いて、家や車を買う程の貯金も出来ず、わずかな貯金も使う時間もなくて、そんな経済を守る必要がどれだけあるんですか。
……ちゃんとライフワークバランスを調整して稼いでいる人もいる
つまりそれが出来ない人が悪い、自己責任だと?
要するに、勝ち組になれなかった人は自己責任として心身をすり減らして頑張り続けろ。現状を維持するために。
民主主義国家なんだから、それが嫌なら投票しろ
この国にどれだけまともな政治家が残ってるんですか?
中共とDSに従順な人しか残ってないじゃないですか。それに反した人はメディアが叩いて潰すじゃないですか。誰もが口先の綺麗事を並べるだけで、批判を恐れて具体的な行動を起こさず、中共やDSの指示だけこっそり進める。
とっくに民主主義なんて崩壊してるじゃないですか。
「皆」の現状維持のために負け組は壊れるまで頑張れ
こんな感じでしょうか。まぁ違った意見もあるでしょうし人によって違った見方も勿論あるでしょうが。
大筋、似たようなイメージを持ってる人は多いんじゃないですかね。
従順に頑張った所で自分の未来は良くならない。
「皆」が頑張ってる中サボると爪弾きにされる。
頑張らなくていい社会になったら「皆」が困る。
結局、積極的に有給を使えるようなホワイトな会社は極一部で、極一部の勝ち組だけが入れる狭き門。
日本経済は成長を辞め、未来は少子化による衰退が確定している。
昨今の世界情勢を含めて考えると、そもそも「皆」が日本国民を示しているかすら怪しい。
希望もなく不信感だけが募るこの社会で
何を支えに頑張ればいいんですか?
誰のために頑張ればいいんですか?
なんで、頑張らなければならないんですか?
どうしてこんなクソゲーから、人生から降りる事を止められるんですか?
はたらくってなんだろう?
突然スケールの大きい話をしますけれど。
遥か昔、働くというのは「生きる為に食料を得る」ことでした。
時代が進み、第一次産業の割合が減り第二次、第三次産業の割合が増え、より豊かな生活を目指すことに変わっていきました。
それは言い換えると、「生存の為に必須となる時間の短縮すること」だと思っています。
日本は、ぱっと見豊かです。
殆どの人が飢えることなく、ライフラインの整った家を持ち、様々な電化製品によって様々な作業を短縮し、遠くの人と繋がり、娯楽も様々な種類があります。
ただ、精神的な豊かさというのは先進国の中では非常に低い。
私見ですが、今の日本にとって働く意味を聞かれると、真っ先に浮かぶのは「お金を稼ぐこと」でしょう。
勿論、実際の回答はもう少し見栄えのいい回答になるでしょうけどね。
でも、お金を稼ぐために働くというなら、隣の大陸のやり方こそが正しく正義といえるでしょう。
素晴らしいじゃないですか。人口を武器に資金を一極集中して、その莫大な資本を政府のバックアップを背景に確実に運用する。きっと、その額面上の数字は他の追随を許さぬ成長を遂げるでしょう。
……俺はそんな未来は嫌です。
人類が何百万年かけて、「より善く在ろう」と進化を続け、文明を持ち、哲学や宗教を生み出し、通貨を経済を生み出し、機械をネットを生みだし、辿り着いた答えが「金を稼ぐことこそが正義」なんて嫌です。例え後の歴史で否定されるとしても、そんな時代に生きるのは嫌です。
人類は生きる為に必要な食料問題を解決しました。その食料を得るための時間問題を解決しました。それなら次は生まれた余力で「幸せに生きる」方法を探したいと思いませんか。
現代ではその手段を消費というアプローチで探っています。食料をサービスを娯楽を。
そして消費の為にはマネーがいる。そうやって額面こそ正義という風潮になっている。そんな気がします。
働くというのは「社会貢献すること」
ただ、そういった社会に違和感を持ち、馴染めずに弾かれていく人達もいる。
世の中には沢山の社会問題があり、対応する綺麗事がある。
その綺麗事は世の中に溢れ、全ての綺麗事を体現できる聖人君子なんて殆ど居ない。
俺はその世の中に溢れた綺麗事のなかで、それぞれが真剣に取り組めることを選んで人として「善く在ろう」と行動することこそが賞賛される社会になって欲しいし、そう在りたいと思っている。
だからこそ、働くというのは「社会貢献のため」となって欲しいと思うし、通貨はあくまで「何にどれだけの額を『使う』か」「どれだけの影響力を行使できる人物か」を定量的に測るための物であるべきだと思う。
そういった意味では素人目にはベーシックインカムとか、良さそうだなと思うけど専門家じゃないので思うだけです。
ただ、生きづらさを抱えた人達の居場所作りの活動をしていく中で、毎日誰かの為に色んなイベントを開いている先達が、「お金を稼いでいるわけじゃないから無職なのは変わらないよ」と仰っていたのが非常に悔しく、虚しくて。
そうですね。簡単に言えば、NPO法人みたいなのがもっと増えて欲しいというのが理想なのでしょう。
まだまだ、特に日本には寄付という概念が薄く、そういった組織作りのハードルも高いのです。
同時に、そういった社会問題に取り組む人達は聖人君子で清廉潔白で、少ない俸給で慎ましく粉骨砕身働かなければならないというある種のハードルがある。
働きたくても働けない引きこもりニート
正直な話、引きこもり及びニートの中には、本心では働きたくないという人も居ます。純粋に労働が嫌いという人ですね。
ただそれは現在働いている人の中にもいるはずです。
少なくとも殆どの引きこもりやニートは、働きたくないから働いていないわけではない。
働こうとして、そのハードルの高さに恐怖し、絶望し、働けなくなって動けなくなるのです。
就職というのは、大して興味もない業種に入ることになったり、労働条件が悲惨であったり、多大なストレスを受け続けたり、人間関係を拗らせたり、耐えなければならないことだらけ。
そして人生の大部分の時間を占有する割に、その仕事自体で自己実現できる事はレアケースで、その仕事から得られる資金や余暇は限られる。
結局のところそれでも耐えている人達と比べられたら言い返せませんが、その現代社会が正常かどうかとは、それとこれとは話が別と思います。
人口減少に伴う経済の悪化は逃れられぬでしょう。なら、せめて慎ましくとも自分のやるべきと思った事を仕事に出来る、そんな社会になって欲しい。
そう理想ばかり語るだけの27歳無職でした。
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