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高齢者の社会的孤立は誰のせいでもない自分の責任という理屈

介護と育児と介護事業をしている立場上、自然と高齢者に関する情報はよく耳に入ります。

そんな中、今日本では高齢者の社会的孤立をいかにどうするか云々と偉い人たちが喧々諤々しているのですが、今高齢者の人たちって、「社会的に孤立している」層と「社会的にまったく孤立していない」層の二極化していると思うんです。

なぜかというと「社会的にまったく孤立していない」人は会社員を辞めてからも地元の活動を始めてみたり、町内会やまちづくり協議会や小学生の送り迎え監視やシルバー人材センターやあらゆる選択肢があるなかで自分が今できることや挑戦できるものを模索しているんです。
(注釈:高齢者と一口にいっても退職直後から10年程度はかなり体も動くし介護保険を取得していない元気な人たちが大半です)

じゃあ逆に「社会的に孤立している」人たちはどうしているかというと退職直後の自分の立ち位置が忘れられず地元の活動を拒否したり、いまさら人に使われるのは嫌だとかいう謎の食わず嫌いだったり、新しいことを覚えることに対するアレルギーが原因だったりします(例外はありますが)

でも思い出してほしいのは、会社員だったころの最後の立ち位置って新卒だったりして若手の時否応なしにその環境で切磋琢磨させられて積み上げた環境なので新しい環境にいくには当時の若い時と同じだけの努力が必要だと思うんです。それを嫌がって結果として社会的に孤立したって「それはそうだろ」と思いませんか。逆に彼らはそれを覚悟のうえで「社会的に孤立している」人になっている節があります。

というか、そもそも若い世代だろうが何だろうが自分から近寄らなければ孤立していきます。周囲の人たちは常に努力しているんですから。

人生の伴侶が退職後も隣にいるとは限りません。苦労して育てた子供が結婚して海外に行くかもしれません。

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未来少年コナンで「おじい」が冒頭で亡くなるのですがコナンはおじいの死を悲しみつつも外の世界に出ていきます。もし出ていかなければ「社会的に孤立している」人だったと思います。

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