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屋久島と私。
去年私が屋久島を初めて訪れた時の理由は、ありきたりな「デジタルデトックスがしたい」だった。
常にスマホを手放なすことがない自分にとって、どんな変化があるのかがなんとなく気になったからだ。
ただそれだけのはずだった。
まさかその3ヶ月後に12人を引き連れてまた屋久島に舞い戻ることになるとは思ってもみなかった。
実際に屋久島で一日中電波の入らないような森で過ごし、海で泳ぎ、スマホの存在を忘れる時間を過ごしたことで私は「自分の中にある本当に大切なこと」と気づいたのだ。
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初めて屋久島に着いてからの2日間、私と友人は透き通る海でウミガメと一緒に泳いだり、もののけ姫の舞台のような森を散策したり、島でも評判の良い居酒屋さんで地元のおじさんと旅行で来たフランス人と閉店まで地酒を飲み明かすなど、十分楽しみつくしたところで最終日昼過ぎの飛行機に乗る前に、「早朝SUP」の予定を捩じ込んだ。
朝4時にガイドさんが迎えに来るプランだ。
死ぬほど眠かったが、関西出身の私と友達らしい、1秒も損をしたくないスケジュール。
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スタートする頃にはしっかりと目が覚め、広大な川は流れが穏やかで、体力に自信がない私でも存分に楽しむことができた。
途中、川の真ん中に砂浜のような場所が現れ、そこでガイドのアキさんが目の前で鯖節を鍋に入れイチから出汁をとったうどんを朝ごはんに作ってくれた。(感動的な美味しさだった)
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うどんを食べた後、またゆっくり戻るのかと思いきや
「みんな普段いろんな人と会話するでしょ?でもね、一番大事な"自分との会話"を忘れてるんだよ。今からちょっとそれぞれ一人の時間を作るから、自由に過ごしてみて。で、自分と対話してみるといいよ。」
そう言うので、私もサーフボードの上に寝そべり、目を瞑って水の音や鳥の鳴き声を感じながら、自分の中に自然と浮かんだ考えに目を向けてみた。
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そうすると、さっきまで見ていた壮大な自然の風景や、美しい朝日や、その中で食べた美味しいうどんの温かさを思い出して、涙が溢れそうになった。
この二日間で出会った屋久島の人々の優しさや、一緒に来てくれた友人への感謝の気持ちも生まれ、こんなふうに全身で「感動」を味わったのは何年ぶりだろう…と思った。
思えば普段東京で暮らす私は、いつもどこかで人の目を気にして生きていたのだ。
人から見て幸せそうか、人から見て成功しているか、SNSでどんなふうに人に魅せようか。そんなことを常に考えていたように思う。
なぜなら、当時私は離婚を経験し、一般的な幸せルートから外れてしまったことを特に不安に思っていた。
納得して下した決断ではあったが、世間の離婚に対するネガティブなイメージはまだまだ強い。
だからこそ家族に心配をかけないように、周りに可哀想に思われないようにしないと…。
どうにかして人から見て「それでも幸せそうな自分」をSNSや普段の振る舞いで表現しないと気が済まなかった時期だった。
あの頃の私は心の中ではそんな自分に対して毎日涙を流していたのにも関わらず、だ。
とにかく自分で選んだこの経験を"単なる失敗"で終わらせるわけにはいかなかった。
屋久島でスマホを忘れ自分と向き合ったことで、私は「人目を気にすることをもう辞めたかった」のだと気づいた。
人目を気にせず、自分と向き合って思い出したのが、子供の頃よく感じていた「感動」だった。
キレイなものを見た時に釘付けになってしまう「感動」
素晴らしい音楽を聴いた時に圧倒された「感動」
何千年もかけて作り上げられた自然と対峙した時の「感動」
人と深く繋がれた時の「感動」
10代の頃は特に、そんなふうに感情が大きく動く瞬間こそが私にとって「生まれてきてよかった」と感じられる唯一の瞬間だった。
その感覚をこの時思い出したことで分かったことがひとつある。
それは人間にはキャパがあって、人目を気にすることにエネルギーを使っていると、こんな風に純粋に目の前にあるものに感動することにエネルギーをそそげなくなるということだ。
私が思うに、屋久島はスマホや人目を忘れるには最適な場所だ。
確かに電波が入りづらい場所が多いというのもあるが、それ以外にもこの土地の素晴らしさがそうさせる。
私は奈良の山奥に生まれ、ハタチまでそこで育ったので自然豊かな環境は見慣れている方だが、屋久島の自然はさすが世界遺産のパワースポット。
本当に力強く、海にいる生物の数も、川の広大さも、森の空気も、私が今まで見てきたものと全く違う自然だった。
何故そう感じたのか疑問に思い調べてみたところ、屋久島という土地は花崗岩を基にできているので、土が少なく植物にとっては優しい環境ではないらしい。
そんな中で、生命を存続させる為に、岩場に根を這わせて、栄養補給ができる土を探し、雨や嵐にも耐えられる様に、がっしりと根を張って生きている生命力の強い植物に溢れている。
いつもは1日4~5時間はSNSを見ているスマホ依存症の私がその存在を平気で忘れるくらいに、美しく心が震えるほど感動する景色だった理由はそこにあるのかもしれない。と思った。
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また、泊まった宿のオーナーが「屋久島の子供達はNETFLIXも観ないし、少し前にあんなに流行った『鬼滅の刃』も知らない。彼らにとっては屋久島の海や森がずっと楽しいんだよ。」と話してくれた。
日本中の子供達にとって社会現象になるくらい流行っていても、彼らにとっては重要ではないだなんて、すごいことだ。
屋久島から戻ってからの私は、人から見た成功や、人がいいと言ったものよりも、自分にとってそこに感動があるかどうかを基準に取捨選択できるようになった。
その結果、10年続けてきたサラリーマンを辞めたり、新しい勉強を始めたり、あれから約半年でずいぶん生活が変わったように思う。
一緒に行った友人も、詳しくは聞いていないが自分との対話の時間を通じて彼女の中で大きな変化があったのだろう。何度か「あの時誘ってくれて本当にありがとう」と言ってくれた。
これからも自分を見つめる時間を作るサードプレイスとして、定期的に屋久島を訪れるつもりだ。
自分の経験をもっといろんな人に広めたく、屋久島イチオシャレでイケてるリトリートを主催しています!
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第二回は2025年5月9日(金)~11日(日)に開催予定です。自分と向き合うためのコンテンツを様々ご用意しておりますのでぜひチェックしてみてください。
(今回の記事に書いた早朝SUPもあります)