
行動しなかった後悔
お疲れ様です、もんぬです。
2025年の自分に課した『毎日noteチャレンジ』Day15の今日は、以前noteのテーマをゆるっと募集した際にどなたかから(←ひどい)いただいた、「もんぬさんは行動力が凄そうに見えますが、行動しなくて後悔してることってありますか?」という質問に対するアンサーを書いてみます。
誰しも耳にしたことがある「やらない後悔よりやった後悔」。
これまで「まぁそうよね〜人生短いし」となんとなく同意していたが、このテーマでnoteを書こうと思って数分考えたら「そうでもないかも」と思い始めたので、ぬるっと始まったこのnote、案外世のグランドルールに水をぶっかけるような内容になってしまうかもしれない。
だって、私が後悔していることってなんだろう?と考えると「〜しなければよかった」ばかりなんだもの。「やった後悔」だらけの人生。
もちろん「やるか・やらないか」を選ぶシーンは大量にあるし、いつも「やる」を選ぶわけでもない。全然普通に「やめとこ〜」も選ぶ。
それでも「やった後悔」だらけなのはなんでか、考えてみた。
「やらない後悔よりやった後悔」って何かチャレンジする文脈で使われるんだろうけど、「やらない」を選んでいたら「何も起きない」ので、後悔として強烈に記憶に残るのはいつも、「やった」結果うまくいかなかったこと。誰かを傷つけたこと。取り返しのつかない事態になったこと。傷ついたり恥をかいたり落ち込んで自信を失ったりしたこと。
要は「やらない」を選んだ後悔なんて存在感が薄くて覚えていられないのだ。刺激が弱すぎて。
(これは単純に私が、人よりも遥かに記憶力が弱く、かつ失敗が多いからより刺激の強い「やった後悔」しか覚えてないだけかもしれない笑)
それに「なぜあの時やらなかったんだろう」と後悔するとしたら、つまり今は「やっておけば今頃良い結果が出ていたのに」と思っているわけで、それって思考としてダサくない?
やらなかったことを後悔するパターンってほぼ一つで、自分はやらなかったけど周りにやった人がいて、その人が成功したのを見て「やっておけばよかった」と思ってるパターンか、数は少なそうだけど「あの時やっていたら成功していた」ことが何らか後々証明されるパターンな気がする。
前者の、成功者と比べて当時自分も同じ岐路に立っていたのに!というパターンは流石にちょっとダサすぎて、そんなダサい後悔をする自分に対して病みそうなので、これからの自分のことを考える方に無理やりにでもハンドルを切りたい。
後者の後々証明パターンは、それこそ考えたって仕方ないじゃんって思う。その証明が決断の前に来てくれなかったんだから、もうそんなのしょうがないじゃん。自分は悪くない。悔やむ必要がない。
ところで「後悔」ってなんだろう。
「後から悔やむ」と書くが、悔やめるのは後になってからに決まってるので何を言っているんだという感じだし、私たちは1日35,000もの大量の選択を強いられてなんとか生きているわけなので悔やもうと思ったら一日悔やんで終われるくらい悔やむ機会がある。
だったら、より刺激の強い後悔しか残らなくない?と思う。
そう考えると「やっておけばよかった」と悔やめるのはよほどの暇人だけだということになるのではないだろうか。
そもそも人生なんてギャンブルでしかない。
わからないことだらけ、コントロールできないことだらけだから。
よく「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だ」とか言うけど、これに対しても思うところがある。
【自分】
変えられるけど、そもそも自分の心や体がどんな状態かをちゃんとわかってコントロールするのは至難の業なので、思惑通りに変えられることばかりではない。
【未来】
もちろん誰にもわからない。変えられるかもしれないが好きに変えるのはほぼ無理。
【他人】
基本わからないし、影響を与えることはできるけど好きに変えるのはほぼ無理。
【過去】
変えられない(と思いきや、同じ出来事の解釈は人それぞれという意味で余裕で捻じ曲がる。誰も覚えていないことは、あったと言えるだろうか?みたいな話。過去って「事実」としてどっしり構えていそうに見えてその実、全角度から録画されでもしていない限り、人々の記憶に依存してるって本当に危うすぎるよね)。
こんなにコントロールのきかない毎日なんだから、その時の自分の選択を悔やむなんて、いいよそんなことしなくて。って思えてきた。
きっとその時は「こっちが良さそう」って選んだんでしょう。自分の中ではベストな選択だったんでしょう。
もしくは、どう見てもベストでもベターでもないのに選んでしまったなら、そっちを選ばなきゃやってられない何かがあったんでしょう。
最近、全然後悔してないな。そういえば。
それは「大事な選択」をしていないから、後悔する機会もないって話な気もする。もしくは後悔すべき場面で後悔できていないのかもしれない。他のことで頭がいっぱいで、後悔する余裕がないのかもしれない。
後悔できるだけ、ちゃんと選んでるってことでもあるのかぁ、と気づいた。
いいじゃん!
ちゃんと選ぶのは、ちゃんと生きてるってこと。なんとなく日々が過ぎていくよりずっとちゃんと人生謳歌してる感じがする。
明日のランチは本気で腹と舌と相談して、本気でメニューを選んで、その結果悔やむことになるかめちゃくちゃ真剣に自分を観察してやりたくなった。
2025年は毎日noteを書いています!
読んだよ!の「いいね」いただけると励みになります。
もし感想をいただける場合は、Xで記事のポストを引用していただけると見に行きやすいです。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。
また明日もよかったら!