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Photo by
take_kuroki
受け入れる余白を作ろう
先日、彫刻の森美術館ピカソ館へ行きました。
ピカソの言葉として、以下の文章が書かれていました。
芸術家とは
天から地から、紙の切れ端から、
通り過ぎる形から、蜘蛛の巣から、
あらゆるところからやってくる
感動を受け入れる容器のようなものだ
ピカソが大量の作品を残せたのは、もしかしたら、
この<感動を受け入れる容器>の容量が
非常に大きかったからかもしれません。
紙の切れ端からでさえ、感動を受け取ることができるのですから、
容量もさることながら、容器としての機能も
高かったのかもしれません。
お手軽な面白さや、瞬時に怒りを誘発するような動画などで
頭と心をいっぱいにしていたら、
道を歩いていても、空も地面も見ないでしょうし、
蜘蛛の巣にも気が付かないでしょう。
このような状態では、
自分の内側から湧き上がってくるような感動を
味わうことはできません。
「機能快」という言葉があります。
人は元々持っている機能を使う時、快を感じることを意味します。
匂い、味、触感、雰囲気といったものを感じる機能は
部屋にこもってスマホを見続ける生活では使えません。
ピカソレベルまでいかなくても、感動を受け入れる余白を作り、
嗅覚、味覚、触覚、心で感じる感覚を存分に使って、
機能快を楽しみましょう。
そのためには、自分から進んで、感覚を受け取りにいく必要があります。
それはどんな匂い? どんな味?
言語化しようとすればするほど、さらに深く感じることができるでしょう。
文章として残しておけば、時間が経った後でも楽しめますよ。