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【エッセイ】無職日記
無職は時間が多すぎていけない。
一生で残された時間はきっともう決まっているのだろう。目には見えぬ赤い文字で、私の残りライフは鋭い速さを保ち、ぐんぐんと減っていっているような気がする。私は何らかの理由でいつか死ぬ。それは決まっている。だからこそ日々、少しの時間も無駄にできない。とは思っている。けれど、正直なところ。無職には何かをするお金がない。そして、何かをする気力もない。朝起きてから寝るまで早く時間が経たないかなあと願っている。
暇つぶし方法。
まずはとにかく寝る。寝るのにも体力がいるから、限界まで寝たら起きる。頭痛がする。寿命を削っている気がする。あとはスマホをいじる。ドラマやアニメを見る気力もないから、XやInstagramを開いたり閉じたりする。疲れたら寝る。その繰り返しだ。
これって、いつまでなんだろう。終わりはくるのか?このまま、もし100歳まで生きるとしたら、残りの約77年間を暇つぶし感覚で過ごすのか?私は。それはあまりにも怖すぎる。寂しすぎる。
恐らくこの、いつか終わりがくるという思考が良くない。けれど、これは私の根幹にある思考なのだと思う。いつか私に纏わるすべてに終わりはくる。だっていつか私は死ぬから。そのことに怯えているのか、諦めているのか。わからない。でも、それって生きてて楽しいのだろうか。いや、楽しくない。
もし私がセミに生まれて、地上に出て7日間だけ生きられると分かっていたら。私は外に出られるにも関わらずじめじめと地面の中で一生を終えるかもしれない。だって7日しかないのだから。何をしたってしょうがないと窮屈に羽を縮めて、土の数でも数えているのだろう。結局のところ、それが今の私だ。今から、少なくとも5年。いや1年もあれば何だって一通りできるようになるはずだ。例えば今は苦手な編み物や縫い物をする。なにかひとつくらいは作品を作れるはずだ。そしてギターを弾く。弾き語りに憧れているのに未だに手を出せていない。ほんの少しでも憧れを持ったことに挑戦できる可能性は充分秘めているというのに。
だって、プロにはなれないしなあ…。
何かを始めるお金もないし。
自分の天井を、見上げもしないうちに推し量っているせいだ。お金のかからないことだって、きっとたくさんあるのに、考えようともしないせいだ。そのうち周りと差がついてくる。焦りはある。いや焦りしかない。何かをなしとげた人は自信と、たくましさを備えてこれからも生きていく。私は、私は、今なにがあるのだろう。
私はまだ、可能性があるのに。
まだ、やれることはたくさんあるはすなのに。
自分を諦めている一方で、自分にとても期待しているのだ。私なら何かを成し遂げられるんじゃないかと。けれど、始めようともしない。何も出来ない。苦しい。
そんなときに現れたのがエッセイだった。
楽しかった。ただその一言に尽きる。
誰に見てもらえなくても、ひとりでメモ帳に書いているだけで楽しかった。プロになれなくてもいい。お金がなくてもいい。私を表現できること。私の日常が面白おかしく彩られること。春夏秋冬を共にできること。うれしい。私の文を誰かが見てくれるなら、それはうれしいことだけど、少なくとも家族は見てくれて、褒めてくれるから。それでいい。
そうだ。じめじめと地面の中で土なんか眺めてられるか。
負けないぞ。
私は、やるぞ。やらなくては。
私が私を保てる範囲で、これからもきっと続けていく。
続けていけると思っている。