ずっと孤独と闘っている私って、やっぱり変な人?
今日のテーマは孤独感。人の心の中をのぞくことはできないから、もしかしたら大なり小なりみんな抱えてる悩みなのだろうか…。
克服したつもりなのにいつまでも追いかけてくるこの気持ち。もう嫌だ!寂しい!!って叫びたくて記事を書きます。笑
家族から「変な奴」と思われてきた幼少期
これまでの記事を読んでいただけたらすぐわかりそうですが、私は「内向型」の性格。小学生の頃に自己紹介カードに自ら書き込むほど、幼少期からハッキリと自覚しております。母親に「小さいことをひとつひとつ考えすぎだ、私はそんなこと考えたことがないからあなたの気持ちが分からない」と言われることがしょっちゅうありました。
私には「考えない」ということができない。私の頭はおかしいのかもしれない。普通の人になりたい。とずっと思っていました。
周りが見えすぎてしまって、自分のことも見つめすぎていて…子どもにしては大人びすぎていたと思います。そんな性格が自分らしさでもあるし、でもそのせいで周囲と分かり合えないから自己嫌悪の毎日でした。
幼い頃身につけたセルフイメージが自分を攻撃してくる
小学生のうちに早くも自分に絶望してしまい、成人して大学を卒業するまでは精神的にかなり苦しい毎日を送っていました。(ここで補足すると…たまたま勉強はよくできたので、小中学校の間はずっとオールA、高校は最難関校に進学、大学は首席で卒業しました。これだけ聞くと成功者なので、セルフイメージとの差に我ながら苦笑いしてしまいます。)
勉強はできると思っていたけど自己肯定感は地の果てに落ちていたし、環境が変わるたびに「どうせ受け入れてもらえない」とこわばってしまうので言動もぎこちないし、そんな自分に落ち込んでさらにコミュニケーションが下手になる…という負のループにはまっていました。
そんな日々で、ずっとずーっと寂しかった。。。
私に訪れた転機
大学4年生になる頃、もうこんな辛い人生は嫌だ!誰かに助けてほしい!と藁にもすがる思いで心理カウンセラーを探し、バイト代を握りしめて勇気を振り絞って会いに行きました。これが私の人生を最も大きく変えてくれた出会いでした。
(ちなみに母が「心理カウンセラーや精神科なんかに行ったら頭がおかしくなる、絶対行ってはならん!」と根拠なく言いふらす人だったので、最後まで周囲に隠し通して恐る恐る通っていました。高額な費用も自分のバイト代で賄っていたのを思い出すと、泣ける…)
カウンセラーとの初回面談の日。これまで自分や周囲を見つめて「●●は××だ」と分析し思い込んでいたものが、自分の作り出した虚像であることを指摘され、雷に打たれたような衝撃を受けました。
そうか、自分の認知が歪んでいたんだ…。私は私でも生きていいんだ、と初めて受け入れてもらえた気がしました。
対話を重ね、思考の癖をほどいてセルフイメージを書き換えてもらうことができ、私は私のままでも価値があるのだと、初めて思うことができました。
もう孤独にはならないと思えた時期
このカウンセラーとの出会いを通じて「変な奴」というセルフイメージから「こういう私がいてもいいよね」くらいには心が軽くなっていた頃。大学卒業を迎え、上京することとなりました。
実家を離れるという選択肢を自分に与えることができて、人生が好転し始めたのでした。(ずっと実家にいたらいつまでも自分は「変な奴」というラベルに苦しめられていたでしょう…)
私はもう昔みたいに寂しさに苦しめられることはない。生まれ変わったんだ!という一種の自信のような気持ちもありました。
その先は大学院進学、就職、転職、結婚出産、アメリカ移住…と続くのですが、この記事では一旦割愛して現在に話を戻します。
いつまでも「内向型の自分」が孤独を連れてくる。それも当然のこと!
自己否定からくる思い込みの「寂しさ」とは決別したつもりですが、どうしてもどうしても今のアメリカ生活で「寂しさ」が拭えない。なんで私だけこんな気持ちになるんだろう?
そう、どこまでいっても私は「内向型の私」なので、その自分を変える必要はなかったとしても「寂しい」に出くわすことが多くなってしまうのです。ここはアメリカ。他人とのスモールトークに慣れている人たちばかりで、しかも母国語は通じず英語で話さなければならないから。
客観的な事実として、私は異文化コミュニケーションへの興味は人一倍強くて、英語のレベルも高い方。だけど性格上、話し始める前に文章をぐるぐる考えてしまったり、相手の顔色や心情を無意識に想像してしまうため、突然始まる簡単な会話がとても難しいのです。身構えてしまって「話しかけないで」オーラが出てるんじゃないかとすら思う。笑
英語が話せなくてもコミュニケーションができちゃう人もいるけれど、私にはそれが難しすぎる!そして他人と自分を比べては、寂しい…と落ち込んでいるというのが現実なのでしょう。
内向型人間がアメリカで幸せに生きていくためのマインドセット
いちいち「英語ができる/できない」だとか「相手がどう思っているか」なんて考えないで、その場の雰囲気を楽しめればそれでいいんだ。
というか楽しめなくても、避けちゃっても、まるっとそのままOKとする。それが答えになるでしょうね。
不器用なりになんとかかっこよくやり切ろうと努力しているその姿が愛しいじゃないか。そういう姿もまるっと愛してもらえばいいじゃないか。笑われてもいい、笑えるくらい気楽でいい。
そうだ、これだ。やっと今書き出しながら腑に落ちたかも。
こんなことまでじっくり丁寧に考えて書き出しているあたりがなんとも私らしいけど、自分の持っている武器で人生ゲームを攻略してくためにはこんな過程が大事だったりします。
こんな文章が誰かの心を軽くしていたらいいなと思いながら、終わりにしたいと思います。
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