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アスペ夫の愛は、育児能力と比例しない。

確定アスペの夫がいます。
そういうと、一瞬???という反応をする方と、あちゃーそうなのね大変ねやばいね!って顔をする方と、極端にいえばどっちかになることが多い。
それはアスペルガー症候群という障碍が認知されている程度のバロメーターなのかなと思うけども、私は結婚するまで、アスペルガーは性質というか性格の範疇になるものだと思ってた。
だから、愛してればそこは受け入れられるし、気になれば程度問題だろうという気もちょっとしてた。完全な誤解だったけど。

私の夫はすごくいい人だ。
おボンボンで、高級ブランド品を普通に持つし、欲しいものを言えば最高グレードのものを買ってくれるから、恋人の時は最高!すごい王子様みたい!と思ってた。

が、結婚して気が付いたのだが、夫は金遣いをはじめとするいろいろなことの感覚がおかしかった。

同じ本を二冊以上買ってしまうのは当たり前。使いかけのメモ帳や付箋や何本もあるスティックのり。机の上はぐちゃぐちゃ。
モノの値段相場が分からない。要するに、それはおボンボンでお金に余裕があるから買っているのではなくて、「あるはずのものが探せない」ときに、探すではなく「買う」で解決してしまっていただけだった。
モノのグレードや相場に関するアンテナがないから、とりあえず名前の通ったもの=高級品だのブランド品を買っていただけだった。

夫は私のことも娘のこともすごく愛しているし、大切にしてくれている。
が、それがイコール「良き父でありよき伴侶」みたいな話にはならないのが、この障害のすさまじいところだと思う。


夫の育児能力は、愛に比例しない。
子どもが転んで泣いていてもスマホを見ていれば聞こえないので気が付かないし、子どもを看ていてねと頼んでも、リアルに「見ている」以外のことができない。

私が発熱してしまい、夫に子どもを頼んで隣の部屋で休んでいたときのことだ。
子どもが30分近く全力で泣いていて、最終的にひきつけのような状態になっていた。異変を感じてベッドから這いずっていったら、子どもは涙と鼻水でTシャツを半分以上変色させて私のほうに寄ってきた。抱き上げてみたら、右腕に紙で切ったような細い傷があった。
「寝てなくて大丈夫なの?」と気遣ってくれた夫に状況を聞くと、絵本で切ってしまったみたい、痛そうだったよと教えてくれた。そういうときは、痛かったねと声かけをしてバンドエイドを貼るなどするものだということ、涙や鼻水は拭いてあげるべきだということを、この優しい夫は知らなかった。そうする積極的な判断を自分がしてもいいということも、気が付いていなかった。
「子どもを看るというのは泣いたらあやしておむつが濡れてるか確認して濡れてたら取り換えて着替えさせて落ち着くまで抱くまでの一連の対応を含む」と教えたら、優しいアスペの夫は白目になって泡を吹きかけていた。

でも、夫は子どもをめちゃんこ愛している。
駐車場で車に引かれないように、駐車場では泣き叫ぶ次女を全力でホールドして連れて行くし、いずれ一緒に入れなくなる娘たちとのお風呂を楽しみに急いで帰ってきてくれる。
でも、その愛は育児スキルではないので、子どもには(時には私にも)受け入れがたい対応のときが多々ある。

でも、愛しているから、愛していても、夫のアスペは治らない。
そういうものだからだ。もちろん軽重はある程度改善されるにしても、AB型の血液型がO型にならないのと同じで、その障碍によって身につけたものの見方や考え方は根本的には変わらない、と私は考えている。
だからこそ、アスペルガーであることを私も知りたいし、子どもにも知ってほしいし、夫にも知ってほしい。
アスペだろうとなんだろうと、子どもの父であることは変わりないのだから。


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