見出し画像

“ユーモラス”と“優しさ”と”狂気”

また久々に日記を書く。
ただ過ぎてしまう日も、書くことで尊いものになるなぁと改めて感じて書くことにした。

今日は近所の学校で、学校説明会があったらしく、親子連れの人がちらほらといた。

私が歩く目の前を父と娘が2人で並んで歩いていた。
とても仲が良さそうだ。
横切ってみると、なにやら痴話喧嘩をしている。
今日の学校説明会のことを話している。
2人してお互いに言いたいことを言いながら、とても仲良しだ。

私はそんな姿を見て、思わず「ふふ」と微笑ましい気持ちでいっぱいになった。
そして、あぁうちの家族はこんな風に言いたいこと言えてなかったのかもなぁと。
父とも仲が良かったが、こんな風になんでもかんでも言える仲ではなかったし、父と母の関係もそれだったなぁと。遠慮して、結局大切なことを話し合えないまま、父はボケて話せなくなってしまった。

もっと言いたいこと言い合っていたら、少しは変わっていたのかなぁ。
いや、少なくとも私は言っていた。でも父は新興宗教に勤めており、こちらの言い分は聞き入れてもらえなかった。




今日は北野武監督作『ソナチネ』のフィルム上映を観に行った。
本作で流れる久石譲の曲が好きだったが、作品は観たことがなく、ずっと気になっていた。

フィルム上映とは知らずに観に行ったのだが、プチプチとフィルムの音が聞こえ、柔らかい空気と共に、久石譲のオープニングテーマが冷たさと切なさと無秩序を生み出す。

ビートたけしは優しい人なんだなぁと思った。
とても愛に溢れていて、でもその愛を抱えきれない辛さを感じる。それも自己の凶暴性と共に…。


家に帰ってからも暫く余韻に浸り過ぎていたが、ふとNetflixsでドキュメンタリー映画『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』を発見した。
いやぁこれがまた面白かった。


『ソナチネ』を観て、ドキュメンタリーを観て思ったことは、
何事にも“ユーモラス”と“優しさ”と“狂気”が必要だ。


導入部分と何にも関連していない感じになったが、とりあえず今日はとてもいい日だった。
おやすみなさい。


いいなと思ったら応援しよう!