見出し画像

【徒然草考:第七十二段】持ち物の品格と清廉の美学

徒然草を読み解きつつ人生のたしなみを学びなおす「徒然草考」。
第七十二段をお届けします。


第七十二段:持ち物の品格

原文
※古文体が苦手な方は読み飛ばして現代語訳におすすみください。

賤しげなる物、居たるあたりに調度の多ほき。
硯に筆の多き。
持仏堂に仏の多き。
前栽に石・草木の多き。
家の内に子孫の多き。
人にあひて詞の多き。
願文に作善多く書き載せたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文。
塵塚の塵。

  • 持仏堂:毎日礼拝する仏壇を置く室のこと。

  • 前栽:庭の植え込みのこと。

  • 願文:仏に願うことを書いた文。

  • 文車:書物を運ぶための小さい車。

  • 塵塚:ゴミを捨てる場所。

現代語訳
※著者の個人的な解釈による現代語訳です。

思うに下品に感じられるものは次の通り。

  • 住まいの調度品がやたらと多いこと。

  • 硯に筆が無駄にたくさんあること。

  • 仏壇に仏像がたくさんあること。

  • 庭に石や草木がやたらとたくさんあること。

  • 人に会うとやたらと饒舌になること。

  • 自分アピールが多いこと。

・・・ああ見苦しい。

多くても見苦しくないのは、

  • 本棚にたくさんある書物。

  • きちんと捨てられたゴミ。

清廉の美学

第七十二段は、物に囲まれた豊かさに一石を投じた清廉の美学を説いています。

実は私、コレクション癖の持ち主だったこともありました。
所有する達成感が一時的に自分の心を満たしていたんでしょうね。
あれはあれで楽しかった。
ですから、物に囲まれたい気持ちも理解できます。

しかし、徐々に変わっていったんですね。
きっかけは田舎の実家の断捨離でした。
そこには古い蔵があり、実に様々な物が放り込まれていました。
時代を超えて生き残った大量の不用品。
出てくるわ、出てくるわ。
まさに、兼好法師が記したような見苦しい有り様。
「そうか、いずれ自分もこうなるのか!」
強い気付きを得た私は一心不乱に断捨離を敢行しました。
おびただしい数の不用品を、行政のルールに従ってきれいに処分した時は、妙に清々しかった。
「多くても見苦しくないのは、きちんと捨てられたゴミ。」
こちらも兼好法師のおっしゃる通りでした。

何事も体験してみるとよくわかりますね。

兼好法師の説く清廉の美学とまではいきませんが、断捨離からの私の学びをご紹介します。

  • 本当に必要なものだけを持つ
    本当に必要なものだけを残すことで、過去との決別も進み、心を整えることができるように思います。

  • 空間を持つ
    物を置かない空間をつくることで、新たな創造の余地を持つことができるようなると思います。

  • 振る舞いも整う
    持ち物を減らすことは、実は、自分に向きあう機会や時間を増やすことにつながり、自己の振舞いも整えてくれのではないか。
    そんな仮説を持つ私でございます。

これらの学びを得た私は、さっそく自分の部屋の断捨離を実施し、自称「清廉」な環境に身を置いています・・・と思います。

ここで、内々に愚痴を一言。
自分の部屋のドアを開けた瞬間に、目に飛び込んでくる物が散らかったリビングの惨状。
なんとかならないもんかなぁ・・・。
家族には、怖くて言えないんですけどね(涙)。

終わりに

お付き合いいただきありがとうございました。
徒然草を題材に、あれこれ考えてみることは実に有意義ですね。
徒然草を読んであれこれ考えてみたいという方におすすめの書籍をご紹介させていただきます。

電子書籍版の徒然草はこちら

オーディオブック版の徒然草はこちら

最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。
こちらの情報がお役に立ちましたらうれしいです。

いいなと思ったら応援しよう!

ススメ@マーケター
よろしければサポートをお願いします。