【徒然草考:第七十段】名人のふるまい
徒然草を読み解きつつ人生のたしなみを学びなおす「徒然草考」。
第七十段をお届けします。
第七十段:琵琶の名人「兼季」の機転
原文
※古文体が苦手な方は読み飛ばして現代語訳におすすみください。
元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣のおとど、牧馬を弾じ給ひけるに、座に著きて、先まづ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり。
御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の参る程によく干て、事故なかりけり。
いかなる意趣ゆかありけん。
物見ける衣被の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
元応
後醍醐天皇の時代(1319年4月から1321年2月)。
この話は文保二年(1318年)の出来事。清暑堂
平城京の大内裏にある神楽が行われる場所。
御遊は音楽を奏でること。玄上
宮中に保管されていた琵琶の名器。菊亭大臣
藤原兼季(ふじわらのかねすえ)。
太政大臣西園寺兼の息子で菊亭と称した琵琶の名手。牧馬
上記の「玄上」と同じく琵琶の名器。
現代語訳
※著者の個人的な解釈による現代語訳です。
後醍醐天皇の御世、元応の清暑堂での宴が開催されたのは、秘蔵の名器「玄上」が盗まれた頃でした。
そして、名手の菊亭兼季が、もうひとつの名器「牧馬」を弾くことになりました。
席に座り調弦をしていると、柱を一本落としてしまいました。
菊亭は、即座に懐の飯糊で支を付け直し、演奏は支障なく行われました。
なぜ、こんなことが起きたのでしょうか。
どうも、観客席び覆面の女が、悪戯をしていたようだ。
まったく、けしからんことです。
名人は動じない
徒然草の第七十段では、演奏中のトラブルに見事に対応した琵琶の名手、菊亭大臣「藤原兼季」の素晴らしいふるまいを紹介しています。
菊亭大臣「藤原兼季」
ちなみにどんなトラブルがあったかというと、下の図の「柱」がひとつ外れてしまったということでした。
「柱」とはギターのフレットに該当する部分で、琵琶の場合、ネックに4つ配置してあり、そこで弦を押さえることで音階をつくり出すことができます。
琵琶のパーツ図
参考までにギターについてもご案内します。
ギターのフレットは指版に埋め込んであるので外れることがありませんが、琵琶の柱は糊で張り合わせていたのですね。
初めて知りました。
しかし、名人「藤原兼季」。
さすがですね。
懐に修理用の糊を持参していたとは。
恐らく、以前にも同じトラブルがあったのではないでしょうか。
私はそんなふうに思いますね。
名人とは、まず場数を踏んでこその名人。
恐らく、演奏中に弦が切れても、別の弦で難なく対応してしまうのでしょう。
さて、あなたは楽器を演奏しますか?
私は、年甲斐も無くエレキギターを練習しております♪
これが、結構、というか、かなり楽しいのです。
終わりに
お付き合いいただきありがとうございました。
徒然草を題材に、あれこれ考えてみることは本当におもしろいですね。
徒然草を読んであれこれ考えてみたいという方におすすめの書籍をご紹介させていただきます。
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最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。
こちらの情報がお役に立ちましたらうれしいです。