悲しみとともに生きる
2021年6月2日、主人が亡くなって丸2年が経ち、三回忌の法要も無事に終えた。この2年を振り返って思うのは、彼がいない生活にようやく慣れてきた、ということ。両親ではなく片親になり、ダブルインカムからシングルインカムになり、精神的・物理的・情緒的にこの状況をみんなで受け入れて、その上で生活していく術を身につけてきた。洗濯機は乾燥まで自動でしてくれるやつに買い換えたし、掃除ロボットも追加導入した。各部屋にはアレクサ設置して、朝の忙しい時間帯は私の代わりにご飯や歯磨きを促してくれている。足りない労力は便利な機械で補い、できるだけ、子供達と触れ合う時間を持てるように私なりに工夫している。
この2年の間、一番辛かったのは情緒面であった。なぜ彼が逝ってしまったのか、なぜ子供達がこの幼さで死別を経験しなければならなかったのか。彼が亡くなってから半年は、自らに問い続けていた。けして答えは出ないのに。半年もすると、答えのない問題に向き合うのに疲れてきた。だから、仏教の考え方を元に自ら答えを設定した。彼は、生まれた時から39年しか生きられない運命だと決まっていた。その39年の人生を最高に楽しく過ごすために、私を伴侶とし、自分のDNAを後世に残すために子供を3人も儲けた。39年の人生、ある人は独身で過ごし、ある人は仕事に忙殺され、ある人は病気で寝たきりで過ごす。いろんな人生がある中、彼はラッキーなことにやりたいことを全部やり切った。自分でビジネスを立ち上げ、成功も失敗も味わい、結婚して子供をもち、全力で子育てにも向き合った。亡くなる数時間前まで家族団欒で元気に過ごし、そして私の腕の中で逝った。病の床に伏すこともなく、孤独に苛まれることもなく、若くして亡くなった無念さはあれど、彼の今までの人生に後悔はないはずだ。私は勝手にそう思っている。
だから、仕方がないことなのだ。彼が39歳で亡くなることは決まっていて、私たちがただそれを知らなかっただけなのだ。でも人生とはそういうものである。人がいつ生まれていつ死ぬかはわからない設定になっている。喜びもあれば悲しみもある。得るものがあれば失うものもある。それが人生。だから私も子供たちも、受け入れるしかない。彼という素晴らしい人と出会えた喜びも、彼を失った深い悲しみも。
この2年間で、彼のことを思い出すときは泣くよりも笑うことの方が増えてきた。パパ、こんなこと言ってたね!とか、パパってこういう人だったよね!っていうのを子供達とともに、笑いながら話せるようになったのは大きい。最初は、会話に出てくるだけで涙していたし、泣きたくないから話題にも上らなかった時期もある。でも今は、楽しい思い出話ができるようになり、彼も頻繁に会話に登場する。彼の存在は物理的に消えてしまったけれど、私たちの心の中ではまだ生きている。そう実感できるようになったのは、良い進歩だと思っている。
穏やかに彼のことを話しながら暮らせるようにはなってきたのだが、先日久しぶりに子供達と共に号泣することがあった。ことの発端は、5月5日の私の誕生日。今から3年前、2018年のゴールデンウィーク、私たち5人はバンコクとマレーシアで休暇を過ごした。5月5日は私の友人の結婚式に参加した。友人から何かパフォーマンスを頼まれていた私は、宴の席でJust a way you areを歌った。実はこのことは主人には伝えておらず、出国前から一人で家で密かに練習していた。密かに、とはいえ、子供達にはバレていたけれど。主人に内緒にしていて、いきなり何かやるのはこれが初めてではない。妹の結婚式の時にもサプライズでピアノを弾いた。その時の主人の反応が面白くて、そしてその余韻にひたる姿も愛しくて、それ以降たびたびサプライズを行っていた。
私の友人は中国人で、彼女とはバンコクに住んでいたときに同じ会社の同僚として知り合った。その後、彼女は会社を去り、シンガポールに移り住み、素敵な旦那様と出会ってめでたく結婚。披露宴に参加している人たちは、中国の人を中心になんとも多国籍で、英語や中国語だけでなく、タイ語や日本語が飛び交うとてもグローバルな宴だった。世界中からのゲストを前に、司会の方が”これから百瀬朝子さんが歌ってくれまーす!”って英語と中国語でアナウンスしたもんだから、主人は目を白黒させて、”え?歌うの?ここで?何歌うの?え?聞いてないよ!”と言いつつ、自分の仕事用のスマフォとプライベート用のスマフォ2台で撮影する準備をしてくれた。生バンドの演奏にのって、100名を超えるゲストの前で歌うのは緊張したけれど、サビに入る頃にはとても気持ちよくなっていた。歌い終えた後、ゲストの方からの大きな拍手喝采をうけつつ自席に目を向けると、ママすごい!って主人の膝で喜んでいる長女と、フォッフォッフォと笑いながら大きく拍手してくれている彼がいた。グローバルな結婚式に出席できただけでも素敵な思い出だけど、そこで歌ったJust a way you areは、その後我が家の鼻歌定番ソングとなった。
今年迎えた、主人のいない2回目の誕生日。子供達とともに、夕食を食べ、ケーキを食べ、アレクサで好きな曲を流しながら、GW最終日をまったりと過ごしていた。プレイリストの中に登録されていた、Just a way you areが流れ始めたとき、長女が言った。”あ、これ、ママが歌ったやつだ!ママ、歌ってよ!”と。長女に言われて歌い始めたが、一フレーズも歌わないうちに涙声になり、やがて歌えなくなった。”ごめんね、ママちょっと、今日はこの曲歌えないよ。。。” ふとみると、普段は飄々としている長男が嗚咽をあげて泣いていた。彼もきっと、思い出したのであろう。あの日のことを。在りし日の父親と、楽しかった結婚式のことを。そんな長男の姿が伝播して、子供達3人と私は久しぶりに声を上げておいおい泣いた。そこで久しぶりに、子供達から不満の声が上がった。
”なんでパパ死んじゃったの?”
”パパのこと大好きだったのに、なんで?”
”パパに会いたいよ!”
ごもっともである。
これに対して、どう答えるべきか。これもまた正解がない。そして正解である必要もない。大好きなパパと突然別れなければならなかった子供達を哀れむだけでは前に進めない。子供たちにはその悲しみを抱きながらも、力強く生きていってほしい。そのために、私がどうあるべきなのか。。。
まずは子供達に同調した。”なんで死んじゃったんだろうね、パパのこと大好きだったのにね、パパに会いたいよね。わかるよ、わかる。悲しいよね。悲しいときは泣こう。まずはみんなで泣こう。だって悲しいんだもん。我慢する必要はない泣こう。”
そして子供たちとともにしばらく号泣した。声をあげて、嗚咽をあげて、おいおい泣いた。そういう泣き方は、実はそう長くは続かない。程なくして、私たちは泣きつくし、涙が止まった。そしたら長男が、笑い始めた。
”なんかみんな赤ちゃんみたいだったね!めっちゃ泣いたね!”
そしたら今度は笑いながら涙が出てきた。彼を失った悲しみや寂しはあれど、この子たちがいてくれることのありがたさに。
”パパが死んじゃって悲しいし、寂しい。でもね、ママがいる!ママ結構強いから大丈夫!長生きする!長男も長女も次男もいる。そして親戚も友達も、みんなみんな、私たちの周りには助けてくれる人がたくさんいる。だから大丈夫。死んじゃったパパが羨むくらい、私たちは楽しく過ごそう。悲しいし寂しいけど、私たちは可哀想ではない。悲しくて寂しいけど、それでも幸せなことや、喜ばしいこと、楽しいこともたくさんある。だから大丈夫。悲しくなったらママにぎゅってして。一緒に泣こう。大丈夫、ママがいるから。我慢しないで。悲しいことも楽しいことも、我慢しちゃダメよ。”
子供達に語りかけながら気がついた。私は子供達に、気持ちを吐露することを我慢させたくないのだ。出しそびれた感情は、心の中に溜まっていく。それはやがてヘドロのようにドロドロと、健全な心を汚していく。死別した悲しみで、自分の心の健全を失うことだけは避けたい。そのためにはまず、悲しみを自分の中にため込まないでいてほしい。そして悲しみを吐き出してスッキリした後は、楽しむことに注力して欲しい。
私たちは生きている。彼を失った悲しみから目をそらすことなく、それを受け入れて、それを抱きしめて、生きていく。そして彼もまた、私たちの心の中で生きている。そういうことを、折に触れてはみんなで確認して、これからも悲しみとともに生きていきたい。
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