人工知能に「愛嬌」は宿るのか?
『AIによって人間の仕事は奪われる!?』なんて話を、ここ最近ニュースや記事などでよく見かけます。
ぼくの考えとしては、『”いま”仕事と思われているもののなかには、人工知能に任せたほうが精度が高まるものも多いだろうけど、そのぶん人間は人間同士でコミュニケーションを取ることに、労力を割くようになるのではないか』と思ってます。
つまり、『人間と人工知能は役割分担』のような考え方だったんですが、この前から何回かに分けて書評を書いている『ユーチュバーが消滅する未来』では、全体として『人工知能は将来的に人間の上位互換になる』と言っている印象があります。
最初は『そうかな〜?』と訝しみながら読んでたんですが、一冊通して読んでみて、『人工知能が人間の上位互換になる』未来もなんとなくイメージがわいてきたので、考えを改めつつあります。
(というか、たぶんもっと正確には『人間と人工知能が融合していく』なんですが、ここらへんはまだぼくが理解しきれてないので、またの機会に...!)
『人間』と『人工知能』の違いは?
そもそも『役割分担』や『上位互換』は、何によってその境界が設けられているかというと、『心』です。
つまり、『役割分担』なら心があれば人間でなければ人工知能だし、『上位互換』なら、人工知能に心が備われば人間の上位互換になりうるということです。
この『心』には人によって言い方が違っていて、『自我』とか『意識』とか『人格』とかいろいろあります。
ぼくは、『人工知能が心をもつのは、とても難しいんじゃないかなあ』(=人間のアイデンティは”心”で、ぼくたちはそれを拠りどころにして人間同士でコミュニケーションを取る比重が上がる)と思ってたんですが、本著によると『心の有無』と『コミュニケーションを取れるか取れないか』は別問題のようです。
(なので今日のタイトルは、『心』や『自我』『意識』なんかと区別するために、あんまりこういった話題では出てこない『愛嬌』という単語を使いました)
先の章で僕は、意識や自我を持った人工知能はあと30年は登場しないだろうと書きました。
でも僕たちが会話を楽しんだり、家族だと感じたりするために、そこまで高度な人工知能やロボットは必要ないかもしれません。
上の文章は、『ユーチュバーが消滅する未来』から引用したものです。
2文目の『会話を楽しんだり、家族だと感じたりする』って、まさにコミュニケーションのことですよね。
著者の岡田さんいわく、それだけならそれほど高度な人工知能はいらないようです。
いまの人工知能でも十分に、コミュニケーションなら取れると。
まあでもたしかに言われてみれば、Siriとかもうちょっと頑張れば、ぼくたちと違和感ないやりとりができるようになりそうな気もします。
それにいまでも十分、『おい、ちょっと変な返しをしてんじゃないよ!』って感じで、『愛嬌』らしきものは芽生えてきてもいます。
価値観の変化にぼくたちはいつも無自覚
ただ、いまぼくたちがSiriや、LINEでやり取りができるAIチャットボット『りんな』とのやり取りを楽しんでいるのは、あくまでも『お試し』のような雰囲気があります。
言ってしまえば、最終的な目的は『人間とのコミュニケーション』で、そのネタのひとつとして、Siriやりんなを使っています。
ただ、本著の言う通りになるならば、ぼくたちは人間の『代わりに』人工知能とコミュニケーションを取るようになります。
それって想像すると、なんか寂しい気持ちもします。
しかしそんな女々しい感情を、著者の岡田さんはこのように斬っています。
そんな光景(人工知能とがっつりコミュニケーションをとること)をわびしいと感じるとしたら、今の価値観のまま、未来を見ているからです。
社会が劇的に変化する時は、僕らの価値観も劇的に変化しますし、往々にしてその変化を僕らは自覚しません。
※カッコ内の注釈はぼくが付けました
岡田さんの言う通り、AIがぼくたちの生活に溶け込めば溶け込むほど、無意識的にぼくたちはAIを受け入れていくのかもしれません。
例えば一昔前までは、電車に1人で乗っている間、ぼくたちがすることと言えば、寝るかボーッとするか、本や新聞を読むかでした。
ただ、この10年くらいで一気にスマホが普及した結果、電車に乗っている大半の人は、スマホの画面を覗き込むようになりました。
いまでは電車内で本や新聞を読んでいると、逆にすごい浮きます。
この電車の風景の変化(=電車に乗っている時は何をするかという価値観の変化)を、多くの人は無意識的に受け入れているはずです。
このようにして、新しい価値観は浸透すればするほど、ぼくたちはその変化に対して無自覚なのです。
いまは「過渡期」の時代
なので、ぼくが冒頭で紹介した『AIからのオススメと、人間からのオススメは共存する』は、過渡期の現象というのが一番しっくりくる表現になります。
まだまだぼくたちは、人工知能とコミュニケーションを取ることに対して、『ぎこちなさ』を感じています。
ただそれは時間の問題で、早晩その『ぎこちなさ』はなくなっていくのかなと。
人工知能に『愛嬌』が宿る未来は、そう遠くないのかもしれません。
そしてその未来は、ものすごく無意識的にやってくるのです。
▼『ユーチュバーが消滅する未来』の感想を4回に分けて書いてきたんですが、今日で最終回です。他3回のnoteも、ぜひ読んでください!