カフェで思うこと
今年、何回、カフェに、行ったのだろう。
今年、あと、どのくらい、カフェに、行けるのだろう。
今日も、いつもの、本屋と併設されているカフェに、来ている。
そこで、いつもの、ソイラテを飲んで、ほっと、一息ついている。
昨年の12月、ぼくは、緊急入院した。
体重減少から、いますぐにでも、入院しなければ、命の危険があった。
そこから、3ヶ月。
今年の3月に、ぼくは、退院した。
時は流れて、7/31から、noteを書きはじめた。
noteに復帰したのだ。
ただ、書くことが楽しかった。
noteを辞める前は、あんなに、書くことが辛かったのに。
いまでは、書かないと、なんか気持ち悪くて、そわそわする。
だから、こうして、カフェで、文章を書いていることが、とても、嬉しく思っている。
体を壊した、あの日から。
ぼくの時計は、止まったと思っていたけれど、当たり前だけれど、そんなことは、なくて、こうして、時は進んでいる。
もうすこしで、今年が終わる。
カフェで、ふと、振り返りながら、ぼくは、なんで、文章を書いているんだろう、と思った。
単純に楽しいから。
それも、あるんだけれど。
それだけじゃない。
ぼくは、ぼくを、残したいんだと思う。
ぼくの生きている、あるいは、生きていた証を、残しておきたい。
ちょっと、重いかもしれないけれど、本気で思ってしまう。
体を壊した、あの日。
ぼくは、じぶんの命を、終わりにしたい、と考えた。
けれど、そんな勇気は、どこにもなくて、怖くて、どうしようもなかった。
体が回復しても、心は、落ちていた。
落ちて。
落ちて。
底で、何かに触れた。
『生きたい』
『楽しく、生きたい』
ぼくは、生きることを、もう一度、はじめようと思った。
そしたら、まいにちが、楽しく感じた。
新しいことにも、挑戦できた。
いまも、挑戦し続けている。
話は戻るのだけれど、ぼくが、何かの原因で、この世をさったとき、ぼくの文章は、このnoteの中で生き続ける。
noteが続いている間は、ずっと、ぼくは、noteの中で生きている。
そう考えると、嬉しかった。
もっと、書きたい、と思った。
言葉を尽くしたい。
ありのままのぼくで、文章を書いていたい。
使命感じゃなくて、自然に、ハートで、感じること。
ハートが、やりたい、と言っていること。
カフェで、こんなにも、考えるとは、思わなかった。
カフェの空気感が、ぼくは、大好き。
ひだまりカフェも、誰かの、物思いにふける、そんなカフェに、なってくれたらいいな。
ぼくは、これからも、文章を書き続ける。
ぼくは、生きているんだよって、証を残していきたい。
今日も、ひだまりカフェに来てくれて、ありがとうございます。
あなたが、立ち寄って、ふっと、肩の力がぬける、一息つける、そんな場所になってくれたら、本当に嬉しい。
ご来店、ありがとうございます。
良かったら、また、来てくださいね。
ここまで、あなたの貴重なじかんをつかって読んでくれて、ありがとうございます。